丸山健二『千日の瑠璃 終結5』より十一月二十四日「私は荒れ地だ」を読む
十一月二十四日は「私は荒れ地だ」で始まる。
『雑草一本とてまともに育てられるかどうかもわからぬ」と自ら語る荒れ地が、それでも耕すことを諦めない老いた農夫や世一を見つめる。
以下引用文。
諦めずに時間をかけてせっせと面倒を見てくれる老農夫。一方、荒地は農夫の献身を疎ましく思い、「彼の死を心の底から願っている自分」に気がつく。こんな身勝手さも、荒れ地だからあまり嫌悪感なく読めてしまう。もし人間なら……そこでストップしてしまうかも。
「死ぬことを知らぬ」も、「生きることしか知らぬ」も、どちらも同じことなのかもしれないが、両者の足音は違った響きで聞こえてくる。
顔つきとか服装とかではなく、足音に、農夫や世一の存在が滲む不思議さを思う。
ほどなく
死ぬことを知らぬかのような頑健な農夫の足音が遠のき、
代わりに
ともあれ生きることしか知らぬ少年の
か細いと言えばか細い
溌剌としていると思えばそうも聞こえる
摩訶不思議な足音がこっちへ迫ってくる。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』81ページ)