丸山健二「風死す」1巻を少し再読する
ー同じアウトサイダーを語っても文体が違う!ー
「千日の瑠璃」の主人公・世一は脳に麻痺のある少年。
「風死す」の主人公は犯罪者にして詩人、癌患者の二十代。
どちらも、この世では外れて生きている者たちである。
だが二人を語る文体はガラリと変わっている気がする。どう違うのか問われると困るのだが。
以下引用文。主人公が自分自身を語っている箇所だが、理屈っぽい生意気でギャングみたいな姿が浮かんでくるのは、「激動の二十一世紀の目抜通り」とか「ド派手な街着を纏って闊歩する」「暗喩を用いての説明が可能な」など大胆な言い回し、漢字を多用しているせいなのだろうか?
とにかく、また「風死す」の世界に戻ってこれて嬉しい。
下劣な発想と さもしい心根とに大きく左右される 激動の二十一世紀の目抜通りを
家族や社会に隷属していない立場を表わす ド派手な街着を纏って闊歩する
(丸山健二「風死す」1巻479ページ
かくして俺は直喩を用いての説明が可能な 単純明快に過ぎる流しの犯罪者と定まって
平野に点在した村落などにはまだまだ残されている醇風美俗を知りつつも荒れ狂い
(丸山健二「風死す」1巻481ページ