丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むー葉っぱと人間の重ね方に散文ならではの面白さを思うー
古来、日本人は詩歌で季節の風景を歌うことで己の心情を託してきた。
「おはぐろとんぼ夜話」の紅葉の箇所を読むと、言葉を尽くして紅葉を表現しようとしている文に心うたれる。
そして言葉の数や韻の制限を受けない散文ならの複雑さが生み出す面白さを感じる。
以下の引用箇所は、社会への批判めいた思いを秋晴れの日の描写に託していて色々考えさせられる。
かなりの日照りつづきであったにもかかわらず
山峡の紅葉が例年通り見事に映え渡った
無気力によって窒息させられている
世間の大多数の判断などいっぺんで消し飛んでしまいそうなほど
すっきりと透徹した日本晴れのある朝のこと、
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻221頁)
以下の引用箇所は、まろやかになってゆく紅葉とコントラストをなすように、船頭の大男から金を巻き上げて逃げていった女の強欲、激しさが示唆されて面白い。
全山紅葉の真っ盛りへと突き進む季節が
ぬくもりにあふれたその色彩でもって
非常な自然の角を削り取り始めたにもかかわらず
欲に生きる者は欲で死ぬだろうという
そんなたぐいの箴言が
多少なりとも効果が期待できたところで
激情の振り子を止めることはかなり難しく
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻230頁)
以下の引用箇所は、女に捨てられた船頭の大男があっという間に立ち直ってゆく様を、深緑に託した書き方が興味深い。
そして
その翌年の
深緑の葉の一枚一枚に
全宇宙の謎を解く鍵があまねく秘められた
夏場にはもう
よしんば心臓に達する傷を負わされたところで
両の手にしっかりと財布を握り締めていそうな
それほどしぶとい女の印象は
澄明な夜空に架かる薄い虹のように曖昧なものと化して
ひたすら無へと傾斜してゆき
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻242頁)
散文の場合、文字数の制限がない分だけ擬人法で思いっきり冒険ができる。そんなチャレンジに溢れた散文が喚起するイメージは無限ではないだろうか?
詩歌の場合、文字数の制限が思いをシンプルにする。余計な贅肉を削ぎ落とされた叫びを聴く面白さ、限られた語の組み合わせで世界を切り取ってゆく複雑さ……が愉しい気がする。