丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻を少し読む
ー降る雨を語る言葉は心のざわめきと重なりてー
津波を生きのび、自分の死せるドッペルゲンガーと出会った青年。
青年は実は自死していた。
その過去が語られ、義母の介護に追い詰められてゆく言葉も心に刺さったが……。
自分と対話するうちに耐えきれなくなって、大雨の中に飛び出してゆく以下引用部分、青年の心のざわめきが伝わってくる表現が並んでいて、非常に印象深いものがある。
やはり、これで一つのワンセンテンスである。
文頭、「精神に鋼鉄の焼きなましのごとき効果」は、青年の激しい苦しみがぶちまけられる感がある表現である。
「この天体上で起きる全てのことを水に流し」
「正当な怒りが沈黙」
「非人間的な世界を浄化」
「まともに息もつけないほどの豪雨のなか」
と激しい雨に青年の苦しい心情がオーバーラップして切ない。
「突飛で」「斬新で」「偉大な」という三文字の言葉が並ぶ箇所は、なんだか言葉の雨粒みたいで面白いと思った。
「人生に刺さった棘としての粗野なおのれ自身を抜こうと、」は、なんて辛い、強い自己否定の言葉だろう。
「桜の若木といっしょに横倒しになった心情をほったらかし」も、散る花が美しい桜の若木だからこそ、青年が「いっしょに横倒し」と語る言葉もぴったりくる。
漢字が連なる思考の過程を経て、「悪しき存在」「ふた心ある神々」「一刻の猶予もなく排除されるべき」と次なる展開を暗示する言葉で文が終わる。
文の終わりを何となく次の文に繋がるイメージの言葉で終わらせる……のも、後期丸山作品の特徴のように思う。
そして、
そうすることで
精神に鋼鉄の焼きなましのごとき効果が得られれば
それで充分と思いながら
ひどい面構えの恐るべき痴鈍者を演じて
その方向へと過たずに肉迫し、
この天体上で起きる全てのことを水に流し
正当な怒りが沈黙させられる非人間的な世界を浄化してくれそうな
まともに息もつけないほどの豪雨のなかを、
突飛で
斬新で
偉大な
至高の意識に満ちた哲学的な意図でも探すかのように、
あるいは人生に刺さった棘としての粗野なおのれ自身を抜こうと、
全身濡れ鼠になって右往左往し、
そのうち、
吹きつのる風をまともに受けて
桜の若木といっしょに横倒しになった心情をほったらかしにし、
どこまでも自分自身の自由を行使することで他者を混乱に陥れてやり、
法的や論理的な解決が不可能である以上は力尽くが望ましいと思い、
同情を誘う立場からの逸脱はいかにして可能なのかと考え、
不完全ながらも突出した自由の尊厳をどこまでも守ろうと決め、
そうなると
あとはただもう、
自分にとっての悪しき存在者が
ふた心ある神々と同様に
一刻の猶予もなく排除されるべきだと
そう強く願うばかりだった。
(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻170頁)