丸山健二『千日の瑠璃 終結4』八月三日を読む
ーラジオ体操に罪はないけれどー
八月三日は「私はラジオ体操だ」で始まる。ラジオ体操は、自分の周りに集まってくる人々の背後にある国家の狙いを鋭く見つめる。ラジオ体操はともかく、今の学校教育はまさにそうであろうと思う。
ただ狙いは「現人神の影にひれ伏せさせるため」なのだろうか?
戦前、現人神が戦争をすることでやってきた荒稼ぎを、今度は現人神抜きで自分達がやってやる……という輩が跋扈しているような今の世、「強欲な現人神の真似をしている者たち」なのかもしれない。
健康な者と不健康な者を厳しく選り分けて
後者を疎外し
前者には連携と服従の精神を植え付ける
そんな魂胆の私は、
物事をあまり深く考えないで集まってくる
能天気な人々に暗示を掛け、
月並みな終わり方をしそうな
そして
それをよしとする生涯を
いざという段には
喜んで国家に捧げるように仕向ける。
つまり
遠いように見えながらも
実際には目睫に迫っている
現人神の影にひれ伏せさせるための基礎訓練を
今から積ませており、
(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』26頁)