丸山健二『千日の瑠璃 終結4』八月四日を読む
ー母親たちともうひとりの母親のコントラストー
八月四日は「私は日傘だ」で始まる。「うたかた湖の水と光に戯れるわが子を見張る母親たちが差す」日傘が語る。
以下引用文。子供達を眺めながらその未来を案じる母親たち。「日傘」をアンテナ見立てて、心配に乱れる脳波を夏空に拡散したり、日差しが安心させようとする声が伝わってくる様子が、どこか漫画チックで面白い場面だと思った。
そして
心配が募るたびに乱れる脳波は
さながらラジオの電波のように
この私をアンテナ代わりにして
焦げ臭い夏空へと野放図に拡散し、
すると
強烈な日差しが
やはり私を通して
「心配するに及ばない」を
くり返し説くのだ。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』31頁)
以下引用文。最後に世一の母親が通り過ぎる様子が出てくる。日傘を差した母親たちの様子が漫画チックに書かれている分、障害のある世一を育てる母親の現在の姿が強烈なコントラストとなって迫ってくる。
すでにして母親の立場に飽き飽きした年配の女は
私の方など見向きもせず、
それでも丘を半分登ったところで
なぜか急に足を止めてこっちを振り返り
大はしゃぎをする子らの甲高い声にじっと聞き入って
おのが少女時代の夏が
まさにそこに在ることを実感する。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』33頁)