丸山健二「千日の瑠璃 終結1」を少し読む
ー普段意識しない存在の意義を見つめる視線ー
十一月十六日は「私は空気だ」で始まる。
以下引用文にある空気が語る、自身の役割が私には新鮮である。「しっかり結び付けるために」「生と死を仲違いさせないために」……そう言われてみたらそうなのかもしれない。大きな視点にたち、人間以外の在り方に目を向ける姿勢が、従来の小説とは違うと思う。
さらには
植物と動物を
動物と鉱物を
鉱物と植物をしっかり結び付けるために、
あるいは
生と死を仲違いさせないために
仲介の労を執る。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」188ページ
以下引用文。そんな結び付ける働きをする「空気」が見えれば、世一は「絶望的なくいちがいなどひとつとして読み取っていない」存在なのだ。
普段「結び付ける」とか「くいちがい」とか全く意識しないで暮らしているので、そんな当たり前に意義を見出す視線が印象に残る。
しかしこの私だけは
彼のなかに絶望的なくいちがいなどひとつとして読み取っていないし
来るべき破局も予見しておらず
彼ほどの現世的な原理に則った存在を他に知らないのだ。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」189ページ