丸山健二「千日の瑠璃 終結1」を少し読む
ー繰り返される「世一の」に込められた思いー
一月二日は「私は酒だ」で始まる。「昨晩からずっと私だけを相手にしてきた世一の父は」と正月らしい、朝から晩まで飲んでいる風景が書かれている。
以下引用文。世一の母と姉が火鉢で餅を焼いて弟に食べさせている風景である。
繰り返しを嫌う丸山先生が、一月二日のページでは「世一の父」「世一の母」「世一の姉」というように「世一の」を反復しているのは何故なのだろうか?
どんな思いを込めて「世一の」を繰り返しているのだろうか?
世一という重しを背負って生きていく彼らは、世間一般の父、母、姉とは異なる苦しみ、優しさがあるという思いを込めて「世一の」を繰り返しているのかもしれない。
世一の母は火鉢を使って餅を焼き
世一の姉は焼き上がった餅を細かく千切って弟の喉を通り易くしてやり
世一はその餅をせっせと口へ放りこんでいた。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」375ページ)