さりはま書房徒然日誌2023年9月23日(土)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻を少し読む

ーひとつの文が長い記憶の旅路にも思えてー

1966年の「夏の流れ」から五十年の年月を経ての作品「我ら亡きあとに津波よ来たれ」
両作品の文体の違いに、「我ら亡きあとに津波よ来たれ」の文体に到達するまでの丸山先生の文体への試行錯誤の過程を思う。

「夏の流れ」の簡潔で、引き締まった美しさのある文。

そして「我ら亡きあとに津波よ来たれ」以下緑の引用文は、これで一つの、実に長い文である。

津波を生きのびた青年の意識をかけめぐる記憶の流れのような、目前にひらける海原のような、たゆたう流れを感じる素敵な文だと思う。

この長い一文の始まりは、「月光の金杯を満たす沈黙の語りとは似ても似つかぬ」という魅力的な語の組み合わせだ。
意味は定かに分からないながら、素敵な響きにあっという間に文に引き込まれる。

そして丸山文学によく出てくるテーマである「もうひとりのおれ」とのやりとりが出てくる。
「船上と岸壁で互いを呼び交わすような無意味にして虚しい押し問答」という文で、絵画を見るかのようなイメージ喚起力で「もうひとりのおれ」とのやりとりが喩えられている。

そして「もうひとりのおれ」にかき乱される記憶が悶々と文の闇間に散る。

長い一文の最後は、「いちいち未来に楯突く明日を思わぬ心といっしょに無窮と無限を孕んだ玻璃の海へと」
なんだか心がスーッとする言葉がきて、浄化された思いになってようやく一つの文を読み終えた。

丸山先生が一つの文を書くのに込めた思いを想像し、そうした時が凝縮された本がずしりと重く感じられてくる。

すると、

月光の金杯を満たす沈黙の語りとは似ても似つかぬ
自分に都合のよいときだけくどくどしく述べ立て
結局はぼやきで終わりそうな
呆れ返るほど単調な物思いが始まり、

それから、

うすうす感づいているおのれの不気味さと
幾多の謎を投げかける胸に咲く花を誰よりも強く意識した
もうひとりのおれとのあいだで
船上と岸壁で互いに呼びかわすような
無意味にして虚しい押し問答がくり返されたものの、

相手をへこますどころか
逆に言い負かされてしまい、

ひとしきりの沈黙の後、

まるで十年ぶりの再会に匹敵しそうな
官能とたわむれるしかなかった青春の放胆さに直結する
まことに奇妙な懐かしさに奇襲されて
不覚にも落涙しそうになり、

不幸と欠乏に付きまとわれっぱなしの生来的な自然人として
今もなお遁走の真っ最中であるおのれの体内に
望んでも得られぬ定めや
することなすこと裏目に出るという汚辱が
トラックに轢かれた蛇のようにのたうっていることが再認識させられ、

それでもなお、

いつまでも経済的に自立しないせいで
消費からの解放という理念が際限なく無価値なものとなるような
延々と切れ目なしにつづく灰色の日々のなかにあって、

借り物の力に復してしまわないほどに、

スノビズムからの解放を必要とする世俗世界の秩序を黙殺できるほどに、

いっさいの敬慕の念を頭から振り払えるほどに、

神仏に化託してみずからの心情を語れるほどに、

心を強化してくれそうな人生の慰めを求め、

また、

ひとえに絶望的な混乱をはっきりと物語る陸を離れたい一心から
いちいち未来に楯突く明日を思わぬ心といっしょに
無窮と無限を孕んだ玻璃の海へと
どこまでも強情を張りそうな
恐ろしいまでに血走った目を飛ばすのであった。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻361頁)

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