さりはま書房徒然日誌2023年9月22日(金)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻を少し読む
➖死を悼む万物の声を喩えるなら➖


津波から助かった青年が誰もいない地を彷徨う途中、心に聞こえてくる言葉……。
死者の言葉だろうか?それとも死者を悼む万物の言葉なのだろうか?

以下、緑の一番目の引用箇所について。
津波でみんな死んでしまった……を散文で表現すると、「平等この上ない死を理詰めで肯定し あっという間に生命線を断たれてしまった」になるのかと思い、そう書くことで伝わってくる感情を考えてみる。

「平等この上ない死を理詰めで肯定し」で逃れられない感がひしひしと迫ってくる。

「あっという間に生命線を断たれてしまった」で命のあっけなさ、無情さに胸が締めつけられる。

「遠雷」や「舟唄」「家鳴り」「つぶやき」の比喩が「のように」と繰り返されることで、悲しみの声があちらこちらから谺するような気がしてくる。
比喩の言葉の思いがけなさも面白い。「舟唄」や「家鳴り」に喩えるとは!


「非難の的の透明性を濁らせるつぶやきのように、」という一文がすごく気に入って、今日の文を書こうと思った。


切なくて不合理なイメージが湧いてくるけれど、具体的に何か……自分の心に作用する過程をきちんと説明することはできない……そして正確に説明はできないけれど、心に何かが伝わってくる、こういう表現が私は好き。


「分かるように文章は書きなさい」という実務志向の世の流れには逆行するのだろうけれど。
明確に説明はできないけれど、心がいいと叫びたくなる表現はいいのだ。

息をとめて心耳をかたむければ、

平等この上ない死を理詰めで肯定し
あっという間に生命線を断たれてしまった
目に見えない人々の生涯を飾る最期にふさわしい魂のこもった言葉が、

山の彼方で轟きわたる遠雷のように、

水路を巡りながら口ずさまれる舟歌のように、

歴数千数百年を経る古刹の家鳴りのように、

非難の的の透明性を濁らせるつぶやきのように、

ほんのかすかに聞こえてくるのだった。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻302頁)

以下、二つの引用箇所は丸山先生の考えがよく現れて魅力的な箇所と思う。

一つめのところ……。

震災のせいで国家が瓦解したら、個人を抑えつけていたものが取っ払われるのだろうか? 
それとも丸山先生ご自身もよく言われるように、天災に乗じて国家が好き勝手に抑えにかかる方向に進むのだろうか?

「断固たる民意という列柱」という言葉も重い。今の日本のように望ましくない国家を支えているのも民意なのだろうか……と。


断固たる民意という列柱によって支えられた
国家的な目標という大屋根が取っ払われたせいで
個人の自由を留保しつづけてきた権威主義が溶解し
情熱的にして騒然たる時代の幕開けが強く予感され、

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻323頁)

次の引用箇所。
ラジオを見つけた青年がスイッチを入れても何も聞こえてこない……という場面。
まさに今の日本絶望をそのまま語っているような文だと心に残る。

つまり、

真っ当な希望に裏付けられた至高の統治者の登場など夢のまた夢でしかない
無定見にして無節操な経済力に支えられ
無知の代償としての間断なき堕落にさらされていたこの島国は、

可死的な存在という色合いに塗りこめられて
人間における反動物的なただひとつの側面である
無気力という精神上の危機を迎え、

各人がおのれの持ち場を放棄するという反社会的な自殺によって
未来を拒否する弱小な国家に成り下がってしまったのかもしれず、

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻341頁)

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