クロモジの香りが恋しい季節
(クロモジの黄色い花)
蒸し蒸しとした日が続くと、ミントをさらに甘く、清涼感のある香りにした味わいのクロモジ茶をアイスティーで飲みたくなる。
ただしクロモジ茶の場合、葉ではなく、おがくずのような、クロモジの木の屑を煎じて飲む。香りはわりと抜けやすいようで、欲張って大袋で買ったら香りがしなくなってしまった。ただ味と風味は残っている。
クロモジは爪楊枝として使われることも多い。
調べてみれば、その他の効能としては保温、芳香性健胃、頭髪の脱毛やフケ防止などがあるそうだ。真偽のほどは知らないが、いかにも効果がありそうな香りである。以下、wikiの説明。
https://ja.wikipedia.org/wiki/クロモジ
クロモジの花の季語は春。次にクロモジを詠んだ俳句を紹介。
くろもじを燻べて春の炉なごむかな 古沢太穂
黒文字と和菓子と八十八夜かな 玉木克子
黒文字を矯めて香らす垣手入れ 武田和郎
身近なところにクロモジのある生活がなんとも贅沢に思え、羨ましくなる句である。
丸山健二作品にもクロモジが出てきたことがある。
「銀の兜の夜」だっただろうか……(心許ない)。なんと死体の臭いを隠すためにクロモジを使用していた。
クロモジはそのくらい強く、清々しい香りである。
丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む
上巻の終わり近くになってきた。
屋形船おはぐろとんぼが廃校跡の荒地に倒れている校長像を見かけ、生前から船の上で亡くなるまでを回想する。
これまでおはぐろとんぼが眺めてきた一貫した流れのある自然の世界から、突如、幾重にもわたって相反する校長の思いが渦巻く世界。
人間を構成する思いの複雑さに、この校長の箇所は思わず二回繰り返して読む。
丸山文学のテーマである「もうひとりの自分」が、ここでは何人もいるかのような思いにかられた。
もうひとりの自我とのあいだに
ぞっとするような沈黙が介在して
決定的な不和が生まれ
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻531頁)
校長が屋形船おはぐろとんぼの上で息絶えてゆく箇所の描写は、言葉を尽くして描かれとても美しい。
それから校長の死を見つめる船頭の大男も印象的。船頭は校長の教え子で知恵が遅れたところがある。
大男が語る校長の親切と優しさ。
それは丸山先生の記憶から生まれたのではないか。
丸山先生自身、小学校時代、皇室の誰かの死への敬礼を拒否したためか特殊学級に入れられた。
だが特殊学級の担任の先生も、体の弱い仲間たちも心温かく居心地のよい場所だった……そう。そんな特殊学級で過ごした体験がにじむ文章のように思う。
それというのも恩師が
知恵遅れという括られ方では差別をしないから
ほかの子とまったく同じように扱うから
教材のたぐいは全部用意してやるから
学業の遅れなど少しも問題にしないから
でかい図体のことでからかう生徒は厳しく罰するから
その気になったときだけ顔を見せてくれればいいからと
そう言ってしきりに登校を勧めてくれ
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上579頁)