さりはま書房徒然日誌2023年7月28日(金)旧暦6月11日

移りゆく日本語の風景ー病院ー

今日は定期通院で総合病院へ。通院している病院は遅くなればなるほど、診察、会計、薬局と雪だるま式に待ち時間が長くなってゆく。だから朝一番に予約する。

総合病院、病院、医院という言葉だが、もとは病院という言葉があって、だんだん区別するような形で総合病院、医院と別れていったらしい。他の言葉に比べると、文学上の例文はあるけれど、多くはない気がする。

日本国語大辞典によれば、病院は

もとは中国明代末にヨーロッパから渡来したキリスト教宣教師による漢訳語。日本へは、蘭学者によって、近世後期に紹介され、次第に広く使用されるようになった。

とのことで、例文も最初の頃は外国の話の聞き覚え的な本に出てくる。

*紅毛雑話〔1787〕一「病院 同国中にガストホイスといふ府あり、明人病院と訳す」

*七新薬〔1862〕七「プロムトン〈略〉の大病院にては、少壮の人肺労の素因ある者に之を常服せしめて、其病の発生を防ぐと云へり」

近代文学の中に出てくる病院、医院、総合病院。それぞれ雰囲気が出ているなあと思うが、やはりどこか寂しい心が伝ってくる。病気もしがちだったろう文学者たちにとって、病院は身近だけれど、あまり書く気のしない場所だったのかもしれない。

まずは病院から。

*悲しき玩具〔1912〕〈石川啄木〉「病院に入りて初めての夜といふに すぐ寝入りしが 物足らぬかな」

次に医院。こちらは病院より小規模のものを言うためか、裏寂しい描写が強まっている気がする。

*うもれ木〔1892〕〈樋口一葉〉五「押たてし杭(くひせ)の面に、博愛医院(イヰン)建築地と墨ぐろに記るして」

*田舎教師〔1909〕〈田山花袋〉五九「門にかけた原田医院といふ看板はもう古くなって居た」

最後に総合病院。安心と信頼を感じる描写のような気がする。

*マヤと一緒に〔1962〕〈島尾敏雄〉「K市にある設備のととのった綜合病院で一度診察してもらうことは」

*暗室〔1976〕〈吉行淳之介〉一四「週に二回、都心の綜合病院へ行って、アレルギーのための注射を打ってもらう」

(以上、青字は全て日本国語大辞典よりの引用)

読んでいるときは病院、医院、総合病院……全く意識しないで読んでいたけれど、こうして比べてみると、それぞれの描写に書き手の心境が現れているなあと思う。

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