丸山健二『千日の瑠璃 終結4』八月二十七日を読む
ー自由への想いー
八月二十七日は「私は追憶だ」で始まる。「午前零時を回っても 思い出したように発作的にさえずるオオルリのせいで 留まるところを知らぬ」追憶が語る。
上記の文だが「回る」「発作的にさえずる」「留まるところを知らぬ」という言葉が絡み合って、追憶がからから回るような映像が浮かんでくる。
以下引用文。世一の母親の追憶の一コマ。「鳥になるべきだ」の一言に、丸山先生の自由を大切にされる生き方がおもわれる。
つれないことをさらりと言ってのけることと
好男子であることで評判の占い師は
「この子は鳥になるべきだ」と
そうひと言呟いただけで、
母親が幾度聞き直しても
鳥の意味についてはまったく触れなかった。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』123頁)
以下引用文。入院していて空っぽの世一のベッドを見つめる父親は、オオルリに怒鳴る。やはり、ここでも自由への切実な思いが伝わってくる。
まったくだしぬけに
「黙れ!」とオオルリを一喝し
鳥になりたいのは自分だと言った。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』125頁)