さりはま書房徒然日誌2024年6月30日(日)

神奈川県立図書館ボランティア朗読会 雑感その2

昨日も6月29日(土)神奈川県立図書館ボランティア朗読会「光るキミへ」の感想を書いたが、少し追加。


昨日も紹介させて頂いたが、普段から朗読会で短歌作品もあればいいのにな……と思っていた私にとって、以下の図書を紹介、朗読してくださった29日の読書会はとても嬉しく、興味深いものがあった。

・『愛するより愛されたい 令和言葉・奈良弁で訳した万葉集① 』佐々木良 著 万葉社

・『現代語訳 竹取物語』川端康成訳 河出文庫

 『竹取物語』星新一訳 角川文庫

 『竹取物語』江國香織 文 新潮文庫

・『光の帝国 常野物語』恩田陸 著 集英社

・『平安ガールフレンズ』酒井順子 著 角川文庫

・『木の声が聞こえますか 日本初の女性樹木医・塚本こなみ物語』池田まき子著 岩崎書店

・『窯変 源氏物語』橋本治 著 中央公論社

 短歌は、「宿命的に一人称が主体となる詩型。ただし無数の「私」に降り立つことで、他者に成り代わって歌を詠むことができる」と短歌創作を教わっている福島泰樹先生にたしか教わった気がする。

 随筆もやはり一人称の文学である。

 古典の朗読は穏やかで丁寧なもの……というイメージがある。
 ゆったりとしたリズムで普段音読されている、でも実は一人称の文学である……という作品群を朗読する……のはチャレンジフルだったのではないだろうか。
 朗読のことはさっぱり分からないながら、一人称の場合の方が感情移入が激しくなるのではないだろうか?でも古典の朗読は、なぜか穏やかな調べのものが多い気がする。このギャップに苦労されたりしたのではないだろうか?


 万葉集の朗読をされた方は、奈良弁での朗読に切り替えたときに感情を思いっきり込めて朗読をされていた。


『平安ガールフレンズ』の朗読者も、耳に心地よい悠々としたリズムで古文を読まれながら、清少納言や紫式部の気持ちを現代語で表現するときは、二人になりきって鋭い感情表現を放っていた。


 どの朗読も面白かったけれど、このお二人の朗読が古典らしいリズムと思いっきり感情を込めた一人称らしい朗読との切り替えが鮮やかで、とりわけ印象に残る。


 短歌も、随筆も一人称なのだから、元々はこういう強い感情を含んで音読されていたのかもしれない……と思った。


 そもそも万葉の時代、どんなふうに音読していたのだろうかとも考えたりもした。
 意外と奈良弁の現代語訳を朗読された方のように、ナマの感情をストレートに強く声に表現していたのかもしれないと想像したりもした。


 短歌は五七で調べもいいし、もともと声に出すことを前提にして書かれているし、時間に制限がある朗読会の場合、朗読する歌をチョイスすることで時間調整もうまく出来るし、ぼーっと聞いていても頭に残るものがあるし……と朗読会に向いている気がする。


その割には余り朗読されない。現代短歌になると、さらに知られていない。
もっと短歌が朗読されたらいいな……と思う。


それも出来れば古典だけでなく、広島あり、家庭内暴力あり……と現代の私たちの心を短歌にしている、でも殆ど知られていない現代短歌から作品が朗読されたらいいな……とも思ったりした。


 選書から作品説明、朗読まで色々ご努力されてきたことが伝わる会だった。

 清少納言は短歌が嫌い、藤は千年生きる……など知らないことを朗読を聞きながら色々教えて頂いた。
 司会の方々も原稿を見ないで、朗読会や朗読作品への想いを分かりやすく伝えて下さっていた。
 回を追うごとに充実していく朗読会を楽しみに、また伺いたいなあと思う。

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