変わりゆく日本語の風景
ーかつて「道理」という言葉には共感があったのではないだろうか?ー
文楽は、江戸時代の上方の言葉のまま上演されているそうで、言葉のタイムトラベルを楽しむ楽しさもある。
ずいぶん変わった言葉もあれば、言葉そのものは変わっていないけど、ただ意味合いというかニュアンスがだいぶ異なっていると思う言葉もある。
「道理」も、形は現代と同じだけど、使われ方が違うのでは……という言葉の一つである。
文楽作品では、若い娘も、ヒロインもやたら「道理」を連発する。
同じ言葉を連発されると、普通うんざりしてくるのだが、「道理」にはそれがない。
まず若い娘も、ヒロインも日常会話の中で「おお、道理、道理」とよく繰り返す。そんな使われ方からして、現代の「道理」の少し硬いイメージとは違うのではないだろうか……という気もしてくる。
道理の意味は現代と違いはない気もするが……
正しいことわり。筋道。そうあるべきこと。
(小学館全文全訳古語辞典)
日本国語辞典の説明の最後の一文に、「道理」という言葉が文楽作品で発する哀しさがあるのだろうか……という気もする。
もしかしたら「世間一般には分かってもらえないかもしれないけれど、私には分かります」という気持ちも込められた言葉だったのではないだろうか。
現代では、物事の正しい筋道・論理・必然性等を広く指すが、種々の物事についての個別的な筋道・正当性・論拠などの意でも用いられ、特に政治・法律に関わる分野に用例が多い。
この語は、古くは正当性の基準をかなり具体的に持つことがあった。たとえば、除目における「道理」の場合、才能・芸能・栄華・年労・戚里といった、人事の基準を示すものであって、一般的・普遍的な正当性を示すものではない。従って、一般的・普遍的には不当と思われることでも、個々の分野の基準としては「道理」になり得るわけである。
(日本国語大辞典)
文楽2部「伽羅先代萩」に出てくる命を狙われる若君を守る乳人・政岡は、毒殺を避けるため他からの食べ物は拒んでひもじい思いをしている若君に
ヲヲ御道理でございます
「御道理」という言葉を幾度も繰り返す。現代の「道理」にはないシンパシー、労りを太夫さんの語りに感じつつ聞いていたが、さて当時の「道理」にはどんな思いがあったのだろうか?