丸山健二「千日の瑠璃 終結1」を少し読む
ーフクロウに世一のイメージを重ねてー
十二月十九日は「私はフクロウだ」で始まる。「哲学的な風貌とは言いがたい いつしか老いてしまったフクロウ」が鳴くのは「湖畔の別荘でひっそりと余生を送っている元大学教授」のためだ。
以下引用文。その大学教授をふくろうはこう語る。世の中に多い御用学者でしかない研究者を激しく非難する、丸山先生らしい言葉である。
そして昨夜の彼は
ひたすら政府の御用学者をめざして
あれこれとあくどい画策を試みた日々を深く恥じ、
今宵の彼は
奮闘空しくその立場に立てなかったことを残念がり
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」320ページ)
以下引用文。この箇所で登場する世一は、フクロウさながら夜の森の生き物を思わせる。「魑魅魍魎」という画数の多い漢字も、「ぬっと」という音の響きも、世一の得体の知れない不気味さを表している気がする。
それでいながら「そんな奴にはもう構うな」とこれまでになく大人びた言葉を発するのである。
するとそのとき
私とは見知り越しの仲である少年世一が
真っ暗な森の奥から
魑魅魍魎を想わせる動きでぬっと現われ、
そんな奴にはもう構うなと
吐き棄てるようにして言う。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」321ページ)