丸山健二「千日の瑠璃 終結1」を少し読む
ー丸山先生の世界とも重なる風景ー
十二月三十一日は「私は鐘だ」で始まる。無人の古寺にある全自動式の鐘が鐘が語る。
ありがたみの無さにまほろ町の人から馬鹿にされている鐘の音でも、世一とオオルリは聞き惚れる。そんな彼らに申し訳なく思った鐘が、百九番目の音をおまけして盛大に放つ。
以下引用文。そんな百九番目の音に対する世一とオオルリの反応を語る言葉が興味深い。「元々数というものに頓着しない少年と小鳥」に、この二者の不思議な魅力ある世界が語られているように思う。
先日、丸山先生がnoteに書かれていたエッセイにも「俗に言われるところの〈天然の性格〉、幸いにもそれを見事に備えた妻と、現在という時間の観念しか持っていないタイハクオウムのバロン君こそが頼みの綱なのです。」という一節があった。
世一とオオルリのこんな世界にも近い風景に思え、ほのぼのとしたものを感じてしまった。
世一とオオルリに自分の世界を重ねた丸山先生の心境なのかもしれない……とも思う。
されど
元々数というものに頓着しない少年と小鳥に
私の意図を推し量ることなど到底できず、
そんな彼らに発生した純なる感激は
そっくりそのまま次なる年へと静かに持ち越されてゆき
願わくば
より幸福ならんと祈るばかりだ。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」369ページ)
丸山先生のnote記事へのリンク
https://note.com/maruyama_kenji/n/n981e053fe5c4