丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻を少し読む
ー「夏の流れ」冒頭の文と比べ、丸山先生の文体と格闘する旅路を思うー
「我ら亡きあとに津波よ来たれ」はワンセンテンスがとても長いが、今回の引用箇所はとりわけ長い。
これでワンセンテンスである。
長いから引用しようと思ったのではない。
「もう一人の自分」的発想に、ドッペルゲンガーの存在を思わせる箇所に、社会への想いが記された箇所に共感したから引用したのだ。
だが入力しているうちに、そういう当初の目的を忘れかける。
入力するだけでも疲れる。
これを頭の中で組み立てて文にまとめるとは、丸山先生はどんな発想で文を書き進めているのだろうか……。
ちなみに丸山先生の二十三歳の作品「夏の流れ」の冒頭の文は
「まだ五時なのに夏の強い朝の光は、カーテンのすきまから一気に差しこんできた。」
ととてもシンプルである。
通信士の文体のように簡潔な「夏の流れ」から半世紀以上、常に文体を進化させようと試みてきた丸山先生……。
このうねるような長文に到達するまでにどれほど手間と時間をかけてきたことか……。
ワンセンテンスに丸山先生が苦闘された長い時を感じてしまう。
文の中ほど「冷笑するもうひとりのおれを意識せざるをえなくなり」に、丸山先生にとってドッペルゲンガーは自分を冷ややかに眺めている存在なのだと思った。
文の最後「真っ昼間に出現した亡霊のように くっきりと透けて見えるのだった。」も、見えてくるのは望ましくない世界の姿ながら、もう一つの世界を示唆して、なんとなくドッペルゲンガー的。
冒頭「煢然」という言葉は知らず、辞書で調べてしまった。
日本国語大辞典によれば、「煢然」(けいぜん)は「孤独で寂しいさま。たよりないさま」とのこと。
「徹底的な煢然」とイカつい字面の漢字が並んでいると、半端ない孤独感が伝わってくる。
文の最後「惨めな未来」も、「独占社会」も大きく頷ける部分があった。
「現世」を「苦悩と情熱にあふれた色彩空間」と表現したのも、まさにその通りだと心に残る。
日本語は接続詞でつなげば、こんな風に長い文になるもの……だろうか。
昼間作業をしていたコワーキングでのこと。仕事の電話をしていた方が「文は長いと読んでもらえないから、できるだけ短く書いてください」と指示していた。
丸山先生は、そうした分かりやすい文を求める世の流れにわざわざ抗って、短い文体からこの長い文体に到達されたのだ……どれほど孤独な旅路であったことだろうか。
ゆえに、
その徹底的な煢然を
ありふれた空語にすぎぬなどとは軽々に決めつけられなくなり、
孤絶の道を一歩進むごとに
片時も気の休まらない状況に投げこまれて
これまでとはまた別種の厳しい日々を迎えそうな
そんな不安が急激に膨張し、
急に怒りっぽくなったかと思うと
今度はおのれ自身を虐待し始め、
その典拠を挙示することなく
自我を敵と見なして鎮撫に乗り出し、
だから、
よしや
虚偽ならぬ真理の含蓄全体が無意義であったとしても、
個々の人々の合図がいくら多種多様であったとしても、
かような現実の雛型はあまりにも厭わしく、
少しでももののわかった人間であるならば
絶対にこんな真似はしなかったはずだという意味を含めて
さかんに不平を鳴らし、
しからば
何ものにもましてこうした事態を避けるべきではなかったかと
そう言って冷笑する
もうひとりのおれを意識せざるをえなくなり、
果ては、
善の空白をいくら悪で補填したところで
なお虚無の疑念が残ってしまうばかりで、
両肩で世に吹き荒れる烈風をつんざきながら
満天下の耳目をそば立たせるほどの成果へと突き進むどころか、
病的な憎悪をかき立てる赤裸々な宿命や
取るに足らぬ出自を補って余りある
安逸な生活を送ることさえ不可能に思え、
かつ、
生き抜くための周到な努力を重ね、
真なるものを説く人物に親炙し、
絶対の信頼を置く相手に助言を求め、
のみならず修練を積み上げたものの、
暮らしそのものが虚飾に陥ることによって
心的に最大の損失を招くことになり、
それでもなお、
いかんともしがたい至らなさに付きまとわれ
純潔な精神を真剣に欲しながら終日のらくら過ごしてしまうという
そんな惨めな未来が、
悪業のみが報われる
代わり映えのしない独占社会と、
撹乱戦法がその出だしからしてきわめて順調に推移する
夏の凄まじい勢いの嵐と、
苦悩と情熱にあふれた色彩空間としての
無益に骨を折らせる無意味な奮起を強いる現世のかなたに、
真っ昼間に出現した亡霊のように
くっきりと透けて見えるのだった。
(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻395頁)