篠田真由美「レディ・ヴィクトリア 完全版 セイレーンは翼を連ねて飛ぶ」を読む
ー19世紀後半へタイムトラベルを楽しませてくれると同時に、弱者への温かい視点を感じさせてくれる一冊!ー
10月に篠田先生にサインをしていただいた「レディ・ヴィクトリア 完全版 セイレーンは翼を連ねて飛ぶ」で2023年の読書は終わり、2024年へと踏み出すことに。年末と年始をまたぐのにふさわしい魅力あふれる本。
ストーリーを追ううちに、登場人物の会話に耳を傾けているうちに、19世紀後半のロンドンの、パリの、アメリカの南部の、ヴェネツィアの、そして日本の生活のディティールが怒涛の如く流れ込んでくる。
まるでタイムトラベルをしているかのように、当時の人間の気持ちで建物を眺めたり、娼館を歩きまわって娼婦の衣装を眺めたりしている。
でも、そんな楽しさが散りばめられた文を書くのに、どれほど調べ物が必要だったことだろう。
作者が調べものに費やしただろう莫大な時間を思い、その知識が魅力あふれる登場人物たちとなり語りかけてくれていることに感謝あるのみである。
各登場人物にむける作者の視線も、社会の底辺で生きる人たちへの共感に満ちた温かい視点が感じられ惹きつけられる。
例えば、以下引用文の主人公レディ・ヴィクトリアが娼婦について語る言葉にも、作者の底辺に生きる人への想いが伝わってくる。
生まれつき娼婦にしかなれない女などおりません。けれど他に生計を立てる方法を知らず、学ぶ機会も与えられないまま、辛い勤めを続けておのれの尊厳を日々の糧に換えていれば、心はいつしかすり減り疲れ切って、目の前の刺激と快楽で毎日をやり過ごすしかできなくなってしまう。
(篠田真由美「レディ・ヴィクトリア 完全版 セイレーンは翼を連ねて飛ぶ」178頁)
作者が後書きで書いているように、主人、召使いという枠を超えて、互いを信頼し合い家族のように暮らす……という登場人物たちは、現実の歴史像からは異なるのかもしれない。
でも、そういう理想をかかげてストーリーをまとめる作者の信念には、今のような世であるからこそ、人と人のつながりとは何か……と問いかけてくる強いメッセージを感じる。
「主人と使用人が互いに信じ合い、互いを守る家族だと?」
(篠田真由美「レディ・ヴィクトリア 完全版 セイレーンは翼を連ねて飛ぶ」322頁)
以下引用文も、この歳になると、ほんとうにそう……と頷き、慰められるような言葉である。
亡くなった人のことは想像してみるしかできないんですもの。死に際に会えなかったのは悲しいけれど、その分元気だったときの顔を覚えていられる。そしてその思い出や、残してくれたものを抱きしめることができる
(篠田真由美「レディ・ヴィクトリア 完全版 セイレーンは翼を連ねて飛ぶ」219頁)
過ぎ去りし時代の日常風景に関する知識をさりげなく散りばめ、読み手を楽しませてくれる。
さらに今急速に失われつつある弱者への温かい視点……その豊かさを教えてくれる本書は、年末年始にふさわしい一冊であった。