丸山健二「千日の瑠璃 終結2」三月三日を読む
ー一瞬の光が時をかけてゆくー
三月三日は「私は乱反射だ」で始まる。うたかた湖の水面と氷の乱反射が語ってゆくのは、世一の生き生きとした姿、死の直前の老人、死後の魂……一瞬の光のきらめきから生、死、死後を描き切る文に、肉体の縛りからも、時の縛りからも解き放たれて自由になった気がしてくる。
以下引用文。「乱反射」を「縫い針の束をぶちまけた」と語る描写が心に残る。
うたかた湖の大気よりも澄みきっている水と
急速に溶けてゆく氷とが相まって生み出す
まるで縫い針の束をぶちまけたような乱反射だ。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結2」214頁)
以下引用文。世一の目に「ひとつの巨大な光源」とも写り、「めざましい躍動」を楽しむ「うたかた湖」は、生を感じさせる存在である。
雪解けが進んでどろどろにぬかった丘の道を
ふらふらと下ってくる青尽くめの少年は、
あたかも湖面全体がひとつの巨大な光源であるかのように錯覚して
私のめざましい躍動を存分に楽しんでいる。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結2」215頁)
以下引用文。「眠るがごとく寂滅してゆく」老人の目に映る乱反射。「顔を向け」「瞳孔いっぱいに私を取りこんで」という丁寧な描写に、瀕死の老人のノロノロした動きを感じる。
「おのれの非を悟る」という言葉に、「乱反射」が罪を映し出す鏡のようにも思えてくる。
やおら起き上がった彼は
湖の方へ顔を向け、
開きかけている瞳孔いっぱいに私を取り込んでから
翻然としておのれの非を悟る。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結2」216頁)
以下引用文。老人が亡くなって魂となってゆく場面。
「坂道を転がり落ち」「仮眠中の絶命」「「ひっそりと息を引き取る」と言葉を変え、丁寧に描写してゆく文から、老人の死への敬意が感じられる。
さらに「魂のきらめき」「増すばかりだ」という言葉に丸山先生の死生観が強く感じられ、老人の死が新たな旅立ちのように思えてくる。
だがしかし
太陽が位置を変えることで
私が天井から離れてしまうと
彼はみるみる衰弱の坂道を転がり落ち、
世一のように全身を震わせたりせずに
あたかも仮眠中の絶命のようにして
ひっそりと息を引き取ってゆくものの
その魂のきらめきは一向に衰えず
むしろ増すばかりだ。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結2」217頁)