丸山健二「風死す」1巻を少し再読
ー〈苦悩の覇者〉の存在を感じたら、たしかにイライラするかもー
〈苦悩の覇者〉と主人公が語る存在が、悩みだらけの私にはあまりに遠く、最初に読んだときはよくイメージをつかめないまま、ささっと素通りしてしまったような気がする。
以下引用文は、〈苦悩の覇者〉、おそらく苦悩を乗り越えた者を語る言葉を取り出したもの。
読んでみると、善なるもの、醜悪なるもの、この両方がバランスをとって存在している……という状態が、苦悩を乗り越えた存在なのだろうか?
主観と客観との純粋な同一性によって成り立つ、近寄りがたき〈苦悩の覇者〉
(丸山健二「風死す」1巻121頁)
陽光の金糸と紫黒色の粗悪な銀糸によって紡がれた 啓発的な存在
(丸山健二「風死す」1巻121頁)
〈苦悩の覇者〉と対峙しているうちに、主人公は苛立ってくる。こんなスーパーな存在を相手にしたら、誰だって苛立つだろう。
〈苦悩の覇者〉とイライラと向かいあっているとき、主人公が「もうひとりの自分」を呼ぶ姿が心に残る。
どうやっても到達できそうにない相手を前にしたとき、私たちは「もうひとりの自分」に助けを呼ぶのかもしれない。
もうひとりの自分をいくら呼んでも返事がなく
とうとうしびれを切らして 怒鳴りまくり
(丸山健二「風死す」1巻122頁
以下引用文は〈苦悩の覇者〉を感じたあとの青年の心象風景。
「船が島影にに隠れるようにして」という悲しみに満ちた比喩。
「街灯が転じられるたびに」の後の意外な展開。
「完全離脱を疑問視」する心のやるせなさ。
「精神的な内玄関」という抽象的な事物を具体的なもので表現する面白さ。
「銅臭」という知覚に働きかける文で考えさせる意外。
最後「楽しむ」という三文字には、どこかそっと背徳を楽しむ雰囲気がある。
船が島影に隠れるようにしてささやかな希望が失せ
街灯が点じられるたびに 人生設計が立ち消え
破滅への恐ろしさで その場に居すくまり
二十代の年齢層に見られる傾向が濁り
属する集団の完全離脱を疑問視し
精神的な内玄関がないと悟り
銅臭を嫌う者を忌み嫌い
獲物に目星を付けて
身体内部を欺き
正当を欠き
様変わりを
楽しむ。