さりはま書房徒然日誌2024年3月3日(日)

丸山健二「千日の瑠璃 終結1」を少し読む

ー「 」の会話文にしないことで生まれる効果ー

「私は弱音だ」で始まる十一月十八日。
「不治の病に浸された」世一の母親が勤務先のスーパーでレジ打ちをしながら漏らす「弱音」が語り手である。

この箇所を、普通の書き方にして母親の言葉を「 」の会話文にしてしまうと、感情に走ったり湿っぽいだけの文になってしまうと思う。

だが以下引用文のように、母親から吐き出された「弱音」が自在にスーパーの店内を駆け巡って聞き手を探したり、客の様子を観察したりする。

そんなあり得ない情景はどこかユーモラスであり、湿った悲哀から解放してくれる。それでいながら母親の孤独を語ってくれるのではないだろうか?

そして
   さまざま憐笑の間隙を縫って突き進み
      親身になって私の話に耳を傾けてくれそうな相手を
         あるいは
             私などもう恥じ入るしかない
                もっと凄い悲劇を背負った母親を
                   懸命に探し回る。


しかし
   どの客もしっかりと財布を握りしめて
         まずまずの幸福の領域に身を置き、

      生鮮食品を品定めする鋭い眼差しは

         ともあれきょうを生きることに満足して
            それなりの輝きを放っている。


(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」194ページ  

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