2017.10 隙間読書 東雅夫編「文豪ノ怪談ジュニア・セレクション 呪」

「文豪ノ怪談ジュニア・セレクション 呪」

編者:東雅夫

初出:2017年3月25日

汐文社

先日、記した岡本綺堂「笛塚」、三遊亭圓朝「百物語」につづく収録作品をすべて読み終える。一番心に残るのは、吉屋信子「鬼火」の極貧のなかに死んだ夫の遺体に首をつって死ぬ前に妻が置いたと思われる紫苑の花。薬かわりに玄関横の紫苑を煎じて夫にのまそうとした妻の哀しい思いが寄り添うかのよう…。

郡虎彦の「鐵輪」(一幕劇)丑の刻詣りの小戯曲の、台詞のゆったりとした言葉も心に残る。台詞をつぶやいていると、脳内が今の日本語とは異なる速さで回転しはじめ、なぜか異界を歩いているような気がしてくる。

岡本綺堂「笛塚」、三遊亭圓朝「百物語」につづく「文豪ノ怪談ジュニア・セレクション 呪」収録作品の紹介。


『因果ばなし』

作者:小泉八雲

訳者:田代三千稔

初出:1989年『霊の日本』

大名の奥方が死ぬ間際に側室を呼び出し、自分をおぶって桜を見せてくれと頼むが。おぶってもらうと側室の乳房をつかみ、そのまま息絶える。乳房をつかんだ手は離れることなく、仕方なしに切り落とすが、夜な夜な側室の乳房をしめあげ、ついに側室は出家。

なぜ、この側室にだけ嫉妬していたのか経緯は一切書かれていない。書かれていないからこそ、その嫉妬が強く心に残る。あでやかな桜の花、側室の乳房に黒く干からびたまま残る腕…この強烈なコントラストのせいで怖くなる。

この短編の口絵をよく見ると、奥方の心をあらわしたのだろう、桜の花びらの山のうえに這いつくばる蜘蛛の絵が、なんとも不気味に描かれている。


『這って来る紐』

作者:田中貢太郎

初出:1934年『日本怪談全集』

僧侶が自分の行いを悔い改め、それまで関係のあった女と別れることに。女は形見として腰につける紐をわたす。宿屋で僧侶が寝床にはいっていると紐も蛇のように動いて寝床に。翌日、紐を切ってみると、中から出てきたのは女の髪の毛であった。

とても短い話ながら、女の髪がはいった紐が動き出すという描写が何ともおどろおどろしい。


『遠野物語(抄)』

作者:柳田國男

初出:1910年刊「遠野物語」

東氏の註をみると「定期的に柳田邸で『お化話の会』が開かれ、明治43年(1910年)6月に「遠野物語」が私家版で350部刊行された」とある。「遠野物語」も出発点は「お化話の会」で、私家版350部でありながら、長々と生きながらえてきたその魅力をあらためて思う。

そういえば英国怪奇幻想小説翻訳会も、スタートして一年3カ月。モールデン『スタイヴィングホウの堤道』、ブラックウッド『他翼』と遅々たる歩みながら二つの短編を宮脇先生や皆様と考えつつ訳出、この平成の英国お化け話の会もなんとかながらえますように。


『予言』

作者:久生十藍

初出:「苦楽」1947年8月号

零落した貴族、阿部が言われのない恨みを石黒という男から受ける羽目に。金持ちの令嬢、知世子と婚約が決まった阿部のもとに石黒から、不吉な未来を予言する手紙が届く。

丁寧な註のおかげで、久生十藍が各所に散りばめた暗示に気がつく。

たとえば婚約がきまった知世子が阿部の友人から祝福をうける場面。

「知世子さん、阿部を一人でとってしまった気でいては困るよ。あなたには、いろいろ怨みがかかっているんだ、男の怨みも女の怨みも…気をつけなくちゃいけない」

東氏の註によれば「祝福の言葉が同時に呪いになる不穏さ!後半の展開がさりげなく暗示されている」とのこと。


樹のない芝生の庭面が空の薄明りに溶けこみ、空と大地のけじめがなくなって、曇り日の古沼のように茫々としている。はかない、妙に心にしむ景色だった。

この箇所の註によれば「このあたりの繊細でいて、そこはかとなく妖気ただよう情景描写は出色。このくだりを境にして、阿部は虚実さだかならぬ夢魔の世界へと足を踏み入れるのだった」

現実の世界から夢の世界へと移動する十藍の書き方もすごいと思うし、そのことを丁寧に教えてくれる東氏の註もすごい。

最後に東氏は『予告』の視点についてこう註を記されている。

実は本篇には、冒頭近くでもう一箇所「われわれ」が用いられれているのだが、いずれにしても一人称と不定称が妖しく錯綜するところに、本篇の真骨頂が認められることは間違いないだろう。小説における「視点」の重要さ、面白さを、じっくり味読して堪能していただけたら幸いである。(東氏の註より129頁)

なるほど、最初と最後に意識的に「われわれ」という人称代名詞をいれ、途中ははっきりと示すことなく語り、夢の部分では阿部の視点で語っているのだろうか。阿部の視点でも語られながら、最後、その阿部が「われわれは、もう長くないと知っているので、なんとも言えない気がした」と語られていることから、視点のひとつが欠けてしまう不安感でゆさぶりをかけてくるのかも…註のおかげで、この作品の仕掛けが少しわかったような気がした。


『くだんのはは』

作者:小松左京

初出:「話の特集」1968年1月号

僕の両親の嫌らしい部分、それと対照的な僕の純粋さ、お屋敷のおばさんの静けさが心に残る。

このお屋敷はなぜか爆撃をうけない。それはおばさん、おじさんのご先祖が隠れキリシタンを裏切ったり、百姓にむごい仕打ちをしてきたから、そういう人の怨みが家にとりつき、恨みのせいで家が守られている…のだという。そして「くだん」とよばれる守り神がいたが…。

「ドイツ鯉よ。鱗がところどころしかないのー一種の奇形ね」とおばさんは言った。

「でも奇形の方が値打ちがあることもあるのよ」

註によれば、この箇所は「屋敷の女主人の複雑な心情を暗示するような台詞である」とのこと。怪奇幻想文学は、一語一語想像力を働かせて、奥に隠された意味をくみ取らなければいけないのだとしみじみ思った。

またハンセン病について、ずいぶん註で多くを語り、原爆投下に用いられたB29のプラモデルをつくっていたらお父様に真顔でたしなめられた思い出を註で書かれていることに、ジュニア・セレクションということで若い世代にむけて編者がこめたメッセージを感じた。

それにしても、この屋敷の総畳の四畳半の便所の描写が、なぜここまで立派なものにしたのかと不思議な気もした。


『復讐』

作者:三島由紀夫

初出:「別冊文芸春秋」1954年7月号

明るい海辺の町に暮らす一家が怯えるもの。何に怯えているか分からないが、怯える様子が克明に記されている。怯えているものの正体がわかったときの重さ…これもジュニア・セレクションならではのメッセージではないだろうか。


『鬼火』

作者:吉屋信子

初出:1951年2月号

瓦斯の集金を意気揚々とやっている男が、瓦斯代をはらえない家の女を前にしてだんだん獣のように落ちていく有様もこわい。最後、女も、その夫も死んだ家で瓦斯の炎だけが青々と燃えている場面もこわい。

紫苑の別名称は「鬼の醜草」、瓦斯の火の描写「陰気な闇の鬼火」にも通じるという註の説明が興味深かった。


『鐵輪』(かなわ)

作者:郡虎彦

初出:「白樺」1913年3月号

捨てられた妻が丑の刻詣りをして、捨てた夫とその相手を呪い殺すという戯曲。ゆっくりと台詞の美しさ、怖さを堪能。

嫉ましいぞえ、嫉ましいぞえ、ほんにほんに力の限りを打てばとて、乳の先までもえ立つた夜毎の妬みは足りもせぬ

と言いながら、最後の日、釘を打ちつける女の哀しさ、怖さ。


『呪文乃周囲』

作者:日夏耿之介

初出:「汎天苑(パンテオン)」1928年3月発行の第2号

漢字とルビの面白さを楽しむ。

読了日:2017年10月26日

 

 

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