経済学者が、心の動きそのものを直接測ろうとすることはなく、その影響をとおして間接的に測ろうとするということは重要なことである。たとえ自分の心の状態だろうと、比べるタイミングが異なれば、他のひとと正確に比べたり、測定したりすることは、誰にもできない。ほかのひとの心の状態をはかることができるのは、間接的に、推測的に、そのひとが受けた影響を間接的に、推測しながら見ることによる。もちろん様々な心の感情があり、高尚な本質からの感情もあれば低俗な本質からの感情もある。そうした感情は、本質が異なるものなのである。しかし、たとえ物質的な喜びや苦痛に限ったとしても、意識を比較することができるのは、その影響を間接的に比べた場合だけであることに気がつく。たしかに同じタイミングで、同じひとに起きない限り、こうした比較がある程度推測になるのはやむを得ない。(1.Ⅱ.3)
例えば、二人のひとのタバコに由来する喜びも、じかに比べることは出来ない。また、同じ人のタバコに由来する喜びであれ、タイミングが異なれば、じかに比べることは出来ない。しかし、もし迷っている男性がいて、2ペンスを葉巻に使おうか、それとも一杯の紅茶に使おうか、あるいは家まで歩いて帰るのをやめて乗り物に乗って帰ろうかと迷っていれば、そのときは通常の言い方にしたがって、同じ喜びを期待していると言えるかもしれない。(1.Ⅱ.4)