もう一度、ある人の行動の動機というものが、これから稼ぐお金によって与えられるとして考えてみよう。このように利益を蓄えようとしているのは、他のことに心を閉ざしているからではない。人生において、ただ仕事の関係の場合でも、誠実さと正直さが求められるものである。たっぷりとまではいかなくても、当然備わっているものとして考えられている。さらに、少なくとも卑しさというものがなく、誠実なすべての人が備えているプライドのせいで雄々しくふるまうことができるのである。再度くりかえすが、人々が生計をたてている大半の仕事は、それ自体に喜びがあるのである。社会主義者は、もっと多くの仕事がそうなるべきであると議論しているが、それも真実である。たしかに、一見したところ魅力的にはみえない仕事でさえ、しばしば大きな喜びがあるのは、能力をのばすという見通しがたつからであり、競争をあおり、権力を手にしようとする本能がくすぐられるからである。競走馬や体操選手が、あらゆる筋肉をうごかして競争相手より前に出るときは、緊張しながらも喜んでいる。同じように、製造業者や商人は、自分の富に何かをつけ加えようという欲望に活気づくというより、競争相手に勝利するという期待に活気づくのである。(1.Ⅱ.23)