『外科室』
著者:泉鏡花
初出:189年(明治28年)
青空文庫
むやみに長く、やたら分かりやすく、親切な本があふれている昨今、泉鏡花『外科室』は言葉をそぎおとし、描かれていない部分も想像させる楽しみにあふれた作品だと思う。
ありえない話なのに、のめりこむように読ませる泉鏡花の魔法!それはどこに?
小石川植物園ですれ違った医学生、高峰と後に貴船伯爵夫人となる女性は、一瞬の出会いで恋におちる。ただし二人が過ごしたのは小石川植物園ですれ違ったほんの一瞬だけ。
二人が再会するのは九年後、高峰は外科医となり、女は貴船伯爵夫人であり一児の母。しかも場所は病院の外科室、高峰が執刀医、貴船伯爵夫人は手術台の上に横たわっていた。
「よろしい」 と一言答えたる医学士の声は、このとき少しく震いを帯びてぞ予が耳には達 したる。その顔色はいかにしけん、にわかに少しく変わりたり。
手術しようと近づいたら、手術台のうえにいたのは、ずっと恋しく思っていた女性だった。高峰の衝撃にこちらも息をのむ。
「私はね、心に一つ秘密がある。」
女は心の秘密をもらしてしまうからと麻酔を拒む…と文字どおりに解釈している人が多い言葉だが、私は違うと思う。
貴船伯爵夫人は、執刀医が高峰だとあらかじめ知っていた。このまま母として生きるより、愛する男の手で死にたいと思ったからこそ、麻酔を受けることを拒んだのではないだろうか。添い遂げることのできない愛なら、せめて愛する男の手にかかって死にたいという思いは次の貴船夫人の言葉からもひしひしと伝わってくる。
「刀を取る先生は、高峰様だろうね!」
「さ、殺されても痛かあない。ちっとも動きやしないから、だいじょうぶだよ。 切ってもいい」
これは秘密をもらしたらどうしようと恐れる弱々しい心ではない。この機に愛する男と添い遂げようとする毅然とした意志の力を感じさせる言葉である。
「夫人、責任を負って手術します」 ときに高峰の風采は一種神聖にして犯すべからざる異様のものにてありしなり。 「どうぞ」と一言答えたる、夫人が蒼白なる両の頬に刷けるがごとき紅を潮しつ。
貴船伯爵夫人の様子に、高峰も心中の覚悟を読みとったのかもしれないが…。このときの高峰の気持ちは今一つ分からない。想像できる方がいたら教えて頂きたい。
「いいえ、あなただから、あなただから」
「でも、あなたは、あなたは、私を知りますまい!」
麻酔を断わったまま、高峰のメスを受けいれる貴船夫人の言葉が切ない。
でも、その思いに寄り添うような高峰の次の言葉「忘れません」に、夫人も、読者も手術の痛みを忘れてしまう。
「忘れません」 その声、その呼吸、その姿、その声、その呼吸、その姿。 伯爵夫人はうれしげに、いとあどけなき微笑を含みて高峰の手より手をはなし、 ばったり、枕に伏すとぞ見えし、脣の色変わりたり。
「その声、その呼吸」というのは貴船夫人のことだろうか?こうして九年間の空白をこえ、二人は添い遂げ、そのまま貴船夫人は死ぬ。隣り合わせの愛と死をわずかこれだけで書いてしまう泉鏡花はすごい。
そのときの二人が状(さま)、あたかも二人の身辺には、 天なく、地なく、社会なく、全く人なきがごとくなりし。
この文は、太夫さんの語りが似合いそうな文である。
かくて丘に上りて躑躅を見たり。躑躅は美なりしなり。されどただ赤かりしのみ。
後半は、九年前の小石川植物園での回想場面になる。
貴船夫人とすれ違ったあとの思いの変化を語る高峰のこの言葉も、心情をよくあらわしている。
青山の墓地と、谷中の墓地と所こそは変わりたれ、同一日に前後して相逝けり。 語を寄す、天下の宗教家、渠ら二人は罪悪ありて、天に行くことを得ざるべきか。
最後のわずか二文で高峰博士の胸中とその最後がうかび、また世間の声も聞こえてくる。
とてもシンプルだけど限りなく奥が深い鏡花作品。言葉と言葉のあいだに広がる宇宙を見つめる楽しさがそこにはある。