『何と冷たい小さな君の手よ』
作者:エイクマン
初出:Powers of Darkness 1966年
タイトルはプッチーニの「ラ・ボエーム」第一幕、詩人ロドルフォがミミに自分のことを語る場面に歌われる歌の題のようだ。この短編のあちらこちらに、そうした気がつかない引用部分があるのではなかろうか…と読後は分かったような、分からなかったような思いが残る。
知り合いの女性テディの留守宅で暮らすことになったエドマンドだが、無言電話がかかってくるようになる。かつて親しくしていた女性クゥイーニーに電話するが、電話にでた女性をクゥイーニーだと思い込んで話すと、相手はルームメイトのネーラ・コンダミンだった。だんだんエドマンドは博識なネーラに魅かれるようになっていく。彼女に会いたいと思って頼み込むが、ネーラは頑なに会うことを拒否、エドマンドから電話がかかってくることも拒否する。
また姿を見られたくないということの裏に仄見える何やら危なげな背景の存在も無視するわけにはいかなかった
ネーラからの電話を待ち焦がれるエドマンドの様子も、怪しく混線する電話もだんだん恐怖を駆り立てていく。
以下の箇所は二人がようやく近づいた場面だが、赤字の箇所は原文はどうなっているのだろうか?あなたが来たのか、私が来れたのか、それとも両方の思いが重なっているのか?
どちらにしても、ネーラはやはり取り憑いていたのか!どこかで暗示しているのだろうか?
「とうとう来たわね、あなた」
「ネーラ! 今までどこに?」
「厄介な問題が生じたのよ。私たち、新しいチャンネルを見つけなきゃ」
「私たち、って?」エドマンドの耳には、まるで濃い霧に遮られたように、依然として遠くで小さく発信音が聞こえている。
「あなたがここに越して来てから、私、ずっとあなたに近づこうとしていたのよ。気づかなかった?」そう言って艶めかしく笑った。「でも、やっと来れたわ!もう電話は切っていいわよ」165頁より
最後、エイクマン自身が「いったい何のためか」と書いてあるので、そこでもう一度、物語を振り返ってしまう。だが、わからない。でも、それが楽しい作品である。
読了日:2017年12月1日