作品ですべてを語りきろうとはせず、主人公「玄吉」の思いと重なる短歌をところどころに散りばめ、短歌に玄吉の思いを凝縮。作品を読んではインパール戦線の場面、海辺の司祭館での平穏退屈な場面、ダッフルコートの少女と犬がたわむれる場面…それぞれの場面が脳裏にうかび、そこに挟まれた短歌に玄吉の思いをつきつけられる作品。
「冬に入る白刃のこころ抱きしまま」ー別所真紀子ー
インパール戦線より生還した玄吉が戦場で体験してきたもの、敗戦後の虚無感、やるせなさを伝える歌で始まる。
「萬緑や死は一瞬を以て足る」ー上田五千石ー
海辺の司祭館で平穏退屈な生活をおくっている玄吉。だが、この歌が伝えているのは、戦場の記憶だろうか? それとも緑につつまれたかのような平穏さを吹き飛ばす出来事だろうか?この歌で暗示されるものに緊張がはしる。
海辺にきたロケ隊にいた少女。少女と玄吉の淡い心の寄せ合いがせつない。
「戻ってくる少女とすれちがった。フードの陰から、少女ははっきりと彼をみつめ、会釈した。少女の顔は少し上気した。なおも丘をのぼる彼を、一瞬、ひきとめたそうな様子をみせたが、そのまま、火のほうに走り去った。
堀くぼめた穴に小用をすませた痕には、つつましく雪をかぶせてあった。ごく微かなぬくもりをもった湿気の気配を、彼は感じた。つられて尿意をおぼえたが、同じ場所は避けた。雪が薄黄色く汚れていくのを見た。」
少女は玄吉を意識しているようなのに、玄吉は小用の場所も変え、自分の尿がかかる雪も「薄黄色く汚れていく」ように思えるのは過去への罪の意識からだろうか?
「テイクツー。そんな言葉が耳をかすめた。」
ロケ中の言葉であると同時に、玄吉の心を示唆する言葉にも思える。インパール戦線を体験してきた自分を忘れ、犬とたわむれる少女との新しい第二シーンへ進みたい…そんな玄吉の思いと「テイクツー」は重なっているのではないだろうか?
最後の歌は何とも哀しい。
次の世もまた次の世も黒揚羽 ー今井豊ー
滾り立つもの皆眠らせよ春の雪 ー音羽和俊ー
玄吉は我が身を、黒揚羽のように不気味な、忌むべき存在だと考えたのだろうか? しかも「次の世もまた次の世でも」と絶望しきっているところに、戦争体験が深い影をおとしているのだなと思った。
2018年5月9日読了