初出:1935(昭和10)年 岡倉書房
この本を書いたのは綺堂が亡くなる四年前、63歳のときである。
綺堂の核となる芝居との出会い、通った芝居小屋の風景、観客として見た舞台の記憶が仔細に書かれている。
綺堂が江戸時代の生き残りのような元旗本に芝居の仮名草子を教えてもらい、江戸時代から舞台にたっている歌舞伎俳優を見たり、江戸時代の舞台のことなら何でも知っている新聞記者の同僚から聞いたり…そうした江戸の見聞が綺堂作品をつくっているのだなと思った。
綺堂に芝居の脚本ーいや正本というらしいーを貸してくれた湯屋の番台の男の思い出が、綺堂の原点のように思われ印象深い。
わたしはそれを湯屋の番台にいる金さんから借りて読んだ。金さんは旗本の息子で、わたしが毎日ゆく麹町四丁目の久保田という湯屋の厄介になっていて、その番台に座っていたのである。この時代にはこういおうたぐいの人が多かった。
金さんは人品の好い、おとなしやかな人で、素性が素性だけに、番台にいる間はいつも何かの本を読んでいた。
また綺堂は、子供時代の自分についてこう語っている。
少年時代のわたしは一方にかなりの暴れ者であると同時に、また一方には頗る陰鬱な質で、子供のくせに薄暗いところに隠れて、なにか本でも読んでいる風であったから、金さんから借りた草双紙のなかでも怪談物を好んで読んだ。外国から帰った三番目の叔父をせがんで、西洋のお化けの話や、お化けの芝居の話をきかせてもらうと、叔父はいつでも国王がお化けと問答をする話と、国王の息子が父の幽霊に出逢う話とを繰返して聞かせてくれた。後に思うと、前者はエインス・ウォルスの小説「ウィンゾル・キャストル」で、後者は例の「ハムレット」であったらしい。そんなわけで、わたしの幼稚な頭は芝居と怪談とで埋められてしまった。
綺堂の世界をつくってくれた湯屋の番台の金さんと叔父さんに感謝しつつ頁をとじる。
2018.09.16読了