世界の貧困を救うための経済学

The New York Times  2011年5月10日

Using Economics to Help the World’s Poor – NYTimes.com.

バナジー/デュフロ『貧乏人の経済学』 | トピックス : みすず書房.も参考にどうぞ

ディヴィッド・レオンハード

アビジット・バナジーとエスター・デュフロは二人ともM.I.Tの教授であり、経済学の実践方法を変えてきた。彼らは発展途上国で反貧困のプログラムをすすめ、それが人々の生活を実際に改善しているかという問いに真摯に向き合っている。

私は2008年のコラムで初めて彼らの仕事について紹介した。昨年、ニューヨーカー誌もデュフロを紹介した。デュフロは、40歳以下で最も優秀な経済学者に贈られるジョン・ベイツ・クラーク・メダルを受賞した。バナジーは今週ナショナル・パブリック・ラジオに出演し、アジア開発銀行へのスピーチの一部はユー・チューブで聞くこともできる。

私は、二人が出版した新刊「貧乏人の経済学」ーーーその内容は教育、健康、政府にわたるーーーについてインタビューをした。

レオンハードからの質問:あなた方は著書で教育の重要性を強く証明されています。例を少しあげると、インドネシアでは学校の建設熱がつづいた後、収入は増加しました。台湾では学校を義務化した後、死亡率が減少しました。マラウイとケニヤでは、教育をうけた少女のあいだでは10代の妊娠が減少しました。しかしながら、いまだに教育にたいして懐疑論をいだく人がいることも事実です。そうした人たちのなかには、アフリカでは教育がひろまったのに豊かになっていないと指摘するひともいます。教育をうける機会が増えても、それが経済の成長にかならずしも結びつかないのはなぜでしょうか。

バナジー:教育への懐疑論者たちが、その代わりとなる策について検討しているかは明らかではありません。アフリカが教育に投資していなかったら何が起きていたでしょうか? 事態はさらに悪化していたのでしょうか? 私には答えがわかりません。こうした比較をしても説明が難しいのは、まさにそのためです。国ごとで見るよりも、個人で比較したほうが、教育のおかげで収入と生活の質が向上していることがわかります。

しかしながら、この論争を受けて、実際には教育がアフリカの成長を促進しなかったと仮定してみましょう。歴史上の理由がたくさんあるため、特にアフリカでは、充実した教育を普及させることが困難だったと考えています。第一に、植民支配で弱体化した国力は、アフリカの教育に投資するには不十分なものでした。アフリカの国々は、小学校高学年から中学校レベルの内容を教える人材がいないという事実にもかかわらず、大急ぎで教育制度を整えなければいけなくなったのです。一方では、植民地支配から新たに解放された市民に、教育を受けようとする向上心を抱き続けるようにと上手く伝えることができませんでした。アフリカの国々は、教育が本来の機能をはたさないまま、教育を普及させる道を選んだのです。  第二に、たまたまですが、教育に一番投資すると決めた国々のなかでも、アンゴラ、モザンビーク、セネガル、スーダンでは長く続く内乱が起きてしまいました。私が考えるところ、教育のせいでこうした内乱が生じたのではなく、植民地支配が終わり、次に何がくるのかということを人々が知らなかっただけなのです。

最後に、これは決して小さくない要因ですが、この本で述べているように、植民地風の教育にも原因があります。それは植民地に移り住んだ人々のやり方で、少数のエリートを教えるというものであり、植民地統治が終了してからの政府によって大ざっぱに決められました。でも現実には、読み書きが出来る最初の世代を大勢教育することが目標だったはずです。学校にいても子供たちが多くを学ばなかったのは当然です。

レオンハードからの質問:いい加減な広報も含まれていますが、調査によればば、すべての子供たちは学習することが可能です。また2年で学校を終えるのでなく、5年まで学ぶというような僅かな違いであっても、そこには明らかな効果があるということです。しかし明らかに、ムンバイからラゴス、そしてヒューストンいたるまで、実に多くの学校では、貧しい子供たちを教育するにあたって、いい加減な仕事をしています。感動的な結果をあげる学校と(厳しい評価を受ける学校のあいだ)の分岐点は何でしょうか。

デュフロ:それは確かに長く論じられてきた問題です。発展途上国での経験からも(例えばインドの教育NPOプラサムによって運営されている補修教育プログラムは非常に成功しています)、アメリカでの経験からも(ボストンのチャータースクールの件も、ニューヨークの貧困家庭のためのNPOハーレム・チャイルド・ゾーンも、弁明は許されないものです)、教育の質をなんとか改善することが可能だとわかります。おそらくそれほど難しいことではありません。しかしながら、ほとんどの学校では生徒を落第させています。なぜ、そうしたことが起きるのでしょうか。やる気のない公教育を非難することは簡単です。たしかに世界中で多くの貧しい子供達が在籍している私学は、もっと活発に運営されています。しかしアメリカでは、すべてのチャータースクールが質の高い教育をあたえているわけではありません。

私たちの考えでは、成功した学校で行われていることは、学校が忘れていたことなのです。あるいは知らなかったことかもしれません。それは、どの生徒にも基本的な技術を教えることを第一の目標にするべきだということなのです。ケニヤ、インド、ガーナでは、教師は今でも、レベルの異なる生徒たちに不合理なまでに厳しいカリキュラムを教えようとしています。生徒の多くは読み書きが出来るようになって1年目であり、家ではまったく勉強をみてもらえないのです。子供達の大半が第1週の終わりには来なくなってしまうにしても、カリキュラム全体を学ぶことが優先事項なのです。

なぜ親は反乱を起こさないのかと不思議に思うかもしれません。毎日、子供たちが何の意味もないことを教えられて座っているのではなく、適切なレベルの内容を教えてほしいと、親が要求しないのはなぜでしょうか。ひとつには、学校がいかにひどく運営されているかということを親が知らないせいもあります。親は、子供達の勉強内容について評価する立場にはいませんし、誰も親に評価できるのにそうした権限を与えられていないという事実を教えてくれないのです。また、教育制度全体をゆがめるエリートへのあこがれに陥っているからでもあります。子供達が一番高いレベルに到達してこそ教育には価値があると、親は思いがちです。

学校の使命について確かめることは、「使命」とは何か定義することでもあります。学校の使命とは、国による難しいテストにそなえて、クラスの大半の生徒を無視しながら、トップの生徒を育てることではありません。どの子供も核になる知識を学び、その知識をよく身につけていることなのです。

レオンハードからの質問:教育から話題を広げてみましょう。世界で一番新しく、とても貧しい国である西スーダンの新しい指導者と数分一緒に過ごすとしたら、そしてその指導者があなた方に市民の生活を改善する最善策を尋ねてきたとしたら、どんなふうに答えますか?

デュフロ:わずか数分では、細部にまで対応することができません。だから基本に焦点をあてることになります。まず第一に説得したい大切な優先事項は、貧しいひとに対する優れた社会サービスの提供にお金や能力を十分投資することです。そのサービスには、良い学校で無料で学べること、予防的な医療サービスや病院での治療を無料で受けることが含まれています。これはロケットのように華々しく見えないかもしれません。でも、こうしたサービスは人間の一番大切な権利であり、また、そのサービスから生じる結果についてもよく知られています。

2番目に説得したいことは、他の国より聡明な方法で、反貧困の政策を運営することです。とりわけ人々に勧めたいことは、他の専門家達がエレベーターの階があがるように次々と提案してくる改善策に耳をかたむけないこと、そして、こうした改善策を土台にした政策を考えないようにすることです。もちろんどこかでスタートをきることが必要ですし、ある分野の知識は、役立ちそうな政策を選ぶ際に役立ちます。しかし目標を成し遂げるにあたって最高の方法を学ぶには、さらにもっと多くのことが必要でしょう。ですから試みには常にプラスアルファのおまけをつけるように助言したいのです。そうすることでゴールに到達するのに最高のプログラムを見つけるのです。

バナジー:もっと具体的な提案が欲しがられるでしょう。そこで、すべての貧しい国で実行すべき二つの政策をあげます。12歳以上になるすべてのひとに、少額でありながら国中で使える現金をあげるのです。こうすることで保証されるのは、誰もが極貧のせいで恥をかくという事態に直面しないですむということです。私たちがまとめた結果によれば、このおかげで人々はもっと生産的にもなります。現金を国中で使えるようにするということが重要です。そうすれば人々は自分のことを貧乏人だと考えなくなるのです(ただし、貧しい国で効果的にすすめるのは難しいことです)

二番目は無料の国民健康保険制度で、健康面での最悪の事態にも対応できるものです。その制度があれば、人々は私立の病院でも、公立の病院でも診てもらうことが可能になります。健康面が危機に瀕したショックのせいで家族は経済的にも、その他の面でも非常に傷つきます。その危機は保険で保障されます。なぜならわざと自分から重病にはならないからです。一方で、こうした重い病気のみ扱う保険制度は理解することが難しいものです。とりわけ文字が読めず、例外など保険規約を読むのに慣れていない場合はなおさらです。人々は国民保険制度について本来の価値をおこうとせず、そのため市場が人々に保険を提供することも難しくなっています。これは明らかに政府が取り組まなければいけない課題です。

(Lady DADA訳・B.riverチェック)

Lady DADAのつぶやき

 学校にたいして親が物を言いにくいという雰囲気は万国共通のものなのでしょうか。

 日本も進学率や平均点に追われるだけでなく、核になる基礎知識を確実に身につけさせる意識をもってもらいたいものです(Lady DADA筆)

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