サキ「耐えがたきバシントン」Ⅵ章 51回

エレーヌ・ド・フレイは、柳の小枝で編んだ低い椅子に全身をしずめ、くつろいで座っていた。その椅子が置かれているヒマラヤスギの木立は広々とした、荘重な庭の中央にあったが、その庭はまるで公園になろうと心に決めたかのようだった。浅めの石の水盤でできた古風な噴水が、すぐ間近の前景のうち人目につく場所をしめ、噴水の縁では、カワウソが重そうな鮭にのりかかって永久に餌食をとらえていた。周囲に刻まれたラテン語の碑文が、「時は水のように速く流れてしまい、時を利用しようとしては疲れ果てる」と死すべき人間に警告していた。道徳についての考察をジャコビアン様式の小品で真似ていて、恥知らずにも通りすぎる者すべてを惑わして、休んで黙想することをあきらめさせていた。噴水のまわりには天鵞絨のような芝生が広がり、小人のような栗や桑の木立があちらこちらで芝生のうえで茂り、その木立の下には葉や小枝からレース模様のような影がおちていた。芝生は緩やかな傾斜をえがき、そのはずれには小さな湖があり、湖上には白鳥のカルテットが漂っていたが、その動作から悲しく、物憂いものが漂う様子は、自分たちのカーストのうんざりするような威厳のせいで、小さな水鳥の賑やかなざわめきに入らないとでも言うようであった。エレーヌは好んで想像したのだが、白鳥は不幸な少年たちの魂が再び形成されたものであり、その少年たちは親の利益のために、無理やり教会の高僧にさせられたり、早々と尊師にさせられたりしたのであった。石でできた低めの欄干が柵となって湖と岸を分け、欄干の上にテラスの小さな模型をつくり、あたりには薔薇が絢爛に咲いていた。他の薔薇の茂みも注意深く刈り込まれたり、育てられたりして、色彩と香りのオアシスを形成し、安らぎをあたえてくれる芝の緑に囲まれていた。さらに離れたところからでも、目に入ってくるのは、多彩な色にみちたロードデンドロンの生垣であった。こうした好ましい例外はあるが、花を見つけるのが難しいような、よく整った庭だった。ゼラニウムの花壇や花で飾られた道を見つめれば、それは誤った指導をうけているのではないかと思えるほどの権力の行使であり、その道はどこにたどり着くでもなく、ただ郊外に住んで、情熱のない、なじみの園丁にたどり着くだけだった。アマーストの雉はすばらしいから、同じ場所にいる孔雀に挑戦を挑んでも、相手が恥ずかしく思うほどで、エメラルド色の芝生へと向かう有様は、まるでスルタンのような自意識を保障されていた。ここでは、夏はせわしない訪問客なのではなく、部分的な所有者なのであった。

 

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