丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より五月三日「私は挽歌だ」を読む
「放火癖のあった天才児」の死を悼んで、世一の友のオオルリが囀る挽歌が語る。
挽歌という形のないものを姿があるように書いている文ゆえだろうか。まほろ町の雰囲気やら余り悲しんでいるようではない両親の様子やらが、やけに現実味と詩情の双方を帯びたものに感じられてくる。
切々たる調子の私は
やりきれぬほど重くて湿潤な大気を押し退けて丘を下り、
深閑とした夜のまほろ町の片隅へと
ひたひたと忍び寄ってゆき、
そして
たった今点灯したばかりの粗末な家の前に
ひっそりと佇む。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』318ページ)