丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より五月十四日「私はヘルメットだ」を読む
「しばしば熊の仔に見間違われるむく犬が 安全のためという理由でかぶせられた 飼い主と揃いの 青いヘルメット」が語る。
多分、丸山先生が飼っていた黒のチャウチャウ犬がモデルなのだろう。もしかしたら青いヘルメットも本当にあったことなのかもしれない。
そんなユーモラスさがありながら、己を正しく認識することが幸せなのか……という鋭い問いかけが潜んでいる。
以下引用文。青いヘルメットを被せられた犬の思い込みのユーモラス。
ひとえに私のせいで
自分が犬であるという自覚を忘れることができたのかもしれず、
さもなければ
犬の立場を超越した
もっと上等な
別の生き物になれたとでも思いこんだのだろうか。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』363ページ)
以下引用文。むく犬の滑稽な思い込みの拠り所であるヘルメット。それを己が手にするペンに重ねる鋭い目。
むく犬の飼い主を長年包みこんでいる錯覚とまったく同じで、
彼が四半世紀ものあいだ握りつづけてきたペンは
おのれがありふれた人間のひとりにすぎないことを忘れさせ、
あるいは
ときとして人間以外の何かになり得たという幻覚に晒され、
(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』364ページ)
以下引用文。人間たる所以を思う。
むく犬が幸せなのは
ひとえにそのことに気づいていないからで、
飼い主がしばしば悲劇的な影を落とすのは
はっきりとそれに気づいているからで、
(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』364ページ)