丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より六月二十八日「私は生気だ」を読む
これから海に向かおうとしている五人の老人の生気。
その様子が、身も蓋もないと言うべきか、ユーモラスというべきか、そんな両方の視点で語られている。
この二つを併せ持って書くのは丸山先生らしい気がする。
力強さという点においては
学校の行き帰りに騒ぐ学童らの声をはるかに上回り、
天皇を神とする国家に士気を発揚されていた当時の
かれら自身の空元気を凌ぎ、
なお且つ
花札賭博で熱くなった客の興奮をも超えており、
そんな私のあまりの勢いに
普段は年寄り連中を舐めきっている野良犬も負けて通り、
田舎道には敵さぬ大型の乗用車を駆って通りかかる
やくざ者ですら圧倒されるほどの勢いだ。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』143ページ)
これから旅に出るかれらはもはや
息子に難題を吹っ掛けたり
嫁にあれこれ煩く言ったりする
一家の嫌われ者などではなく、
神仏なんぞの掌中に帰して
すっかり身動きが取れなくなってしまった
救いがたい愚か者などではない。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』144ページ)