楽観主義に欠けているせいで、人々は貧困の罠にしばられている
5月12日 The Economist Free exchange: Hope springs a trap | The Economist
希望を与えれば、貧乏で、みじめな人々の生活が大きく変化するという考え方は、善意の活動家や熱弁をふるう政治家の夢物語に聞こえるかもしれない。しかしながら、これは、マサチューセッツ工科大のエコノミストであり、データから貧困を分析しているエスター・デュフロが、5月3日にハーバード大学でおこなった講演の要点なのである。デュフロによれば、反貧困政策のうちいくつかの政策は効果をあげ、その効果は物資提供で生じる直接的な影響よりはるかに大きい。また、こうしたプログラムのおかげで貧しい人々が生き延びることだけを願うのではなく、さらに希望を抱けるようになるという。
デュフロと彼女の同僚は、インドの西ベンガル州でおこなわれたプログラムを評価した。そこではBRAC―――バングラディッシュ・マイクロファイナンス・インスティテューションが極端な貧窮状態にある人々と共に働いている。貧窮状態にある人々はローンの返済能力がないとみなされていた。そこでローンを組む代わりに、BRACKは少量ではあるが、牛1頭、山羊のつがい、鶏を数羽など、生産性のある資産を人々に提供してみた。また与えられた資産を食べたり売ったりする衝動にかられないように、BRACKは少額の固定給を給付した。そして毎週学習セミナーをひらいて、動物の飼い方や家庭の切り盛りについて教えた。家畜の生産物を売ることで収入が少しでも増加し、自分で資金をきりもりしていくことについて学んでくれたらと期待したのだ。
その結果には著しいものがあった。財政上の支援や学習会の終了後、BRACKのプログラムを受けた家族からランダムに選んで調査してみたところ、以前よりも15パーセント多く食べ、毎月20パーセント多く稼ぐようになり、他のグループと比べると食事をぬかす回数も減っていた。貯金もたくさんしていた。効果は非常に高く、持続性のあるものだったが、BRACKから提供された援助の直接的な影響だと説明することは出来なかった。それというのも収入増の説明がつくほど、ミルクにしても、卵や肉にしても十分に売ることはできなかったからだ。給付された家畜を売ったからというわけでもなかった(中には売った者もいるが)。
では、何がこの成果を説明するのだろうか。援助された人々の労働時間は以前より一時間あたり28%増加していたが、それは提供された家畜には直接関連しない活動にあてられていた。デュフロと彼女の同僚は、援助をうけた人々の精神的な健康状態が目立って改善されていることに注目した。そのプログラムのおかげで、沈んでいた気持ちが明らかに解消されている。デュフロによれば、プログラムはこうした極貧のひとたちの心に考えるゆとりを与え、その日暮らしの状態から抜け出せるのだと言う。農業労働などのように現在の仕事に新しい仕事を見つけ、さらには新しい流れの仕事を開拓し始めていた。希望を抱けないという状態が人々を極貧にしばりつけていたのだと、デュフロは考えている。BRACKは極貧の人々の心に、楽観主義をふきこんだのである。
デュフロは昔ながらの考えに基づいて行動をすすめている。開発経済学者たちの長年にわたる推量では、貧しい人たちが貧困から抜け出せない理由はこうだ。数カロリー多めに食べるとか、些細な仕事で少しばかり一生懸命働くといった可能な投資をしたところで、僅かな投資からは違いは生まれてこない。つまり貧困から抜け出すには飛躍的な跳躍が要求される。それは食料を増やし、機械を現代化し、店には従業員を配置するということになる。その結果、少量でも肥料を使い、学校でもっと教育を受けてみる、少額でも貯金してみるというような、貧しい人々でも出来る投資をしなくなってしまう。
こうした希望をもてない状態は、いろいろな形で姿をあらわす。病的なまでの保守主義もその産物である。保守主義者は、僅かでも所有物を失うことを怖れ、実現可能で高い利益をだせそうなことに手を出さなくなる。例えば、街までバスで行けるのに、貧しい人々は干ばつに見舞われた村にとどまる。バグラディッシュの農村で行われた実験では、収穫の少なくなる時期の始めに、男達にダッカまでのバス代を与えてみた。その時期は植え付けと収穫の時期のあいだで、座る以外に何もすることがない。大体の男性にとって自分で貯えることができる金額ではあったが、バス代をあげることにより人口移動が22パーセント上昇した。出稼ぎ労働をした男達が送金したお金のおかげで、家族の消費が高くなった。8ドルのバス代がもたらしたのは、一人あたり100ドルの季節消費の増加である。こうした男達の半分は、翌年も、出稼ぎのバス代支援に申し込んできた。今度は誘わなくても申し込みにきたのである。
事実はそうでないのに、人々はよく貧困の罠にはまったと考えがちである。多くの国で行われた調査によれば、貧乏な両親は、2、3年の教育だと利益は生じないと考えている。つまり教育とは、中学校まで終えて価値があると考えるのである。だから子ども達が学校を終了できるかどうか不確かであれば、貧乏な両親はだいたい子ども達を教室で学ばせない傾向にある。もし一人分だけ学校を修了する金を支払うことができるなら、一人の子どもにだけ教育を受けさせ、賢くないと判断した他の子ども達には教育をまったく受けさせない。しかし経済学者たちの発見によれば、学校教育を受けた年数分だけ人の収益能力はおおよそ増えていく。さらに両親は子どもの能力について判断を誤りがちである。一番賢いと信じ込んだ子どもに全て投資したせいで、他の子ども達の優れた点を見過ごしてしまうのである。残りの子ども達は可能性がまったくないと思われ、両親から期待されることなく生きていく。
自分を信じることが燃料になる
驚くようなこともしばしば起きて、希望に拍車がかかる。インドでは、3分の1にあたる村の村議会で、選挙で選ばれる村議長に女性をあてることが法律で定められた。それから5、6年にわたって追跡調査をしてみたところ、デュフロは女子の教育にはっきりとした効果を見いだした。以前なら両親も、子ども達も、女子の教育や職業上の目標については男子と比べるとつつましい目標しか抱いていなかった。女子には学校教育を期待させず、家にいて舅や姑の命令にしたがうことが期待されていた。しかし女性の村議長が現れてから2、3年すると、息子と娘のゴールが同じひとつのゴールに素晴らしいくらいに収束してきた。女性村議長の存在のおかげで、女の子たちは自分たちの可能性をひろげ、家事にしばられなくなってきたのだ。これはおそらく予想外の結果だろう。でも期待をいだかせてくれる結果である。 (Lady DADA訳)
Lady DADAのつぶやき・・・ウェブ版を見ると記事に否定的なコメントもあったが、たしかに希望をもてないという状態は貧困に結びつく。ただ、どうしたら希望をもたせられるかはケースバイケース、一律にいかないことが難しい。それにしても若いひとが希望を失うと、一様にとがった、にらむような顔になっていく・・・