もし物質的な満足を比べてみたいのなら、直接比べてはいけない。どうにか対処できる動機をとおして、間接的に比べなくてはいけない。もし二つの喜びのうちの片方を手に入れたいという欲望が、人々に似たような環境で、もう一時間余計な仕事をする気をおこすならば、あるいは同じような生活程度で、同じ手段をもちいて、その仕事に1シリング支払う気にさせるならば、そのときには、こうした喜びは目的に等しいのだと言えるかもしれない。なぜなら、こうした喜びを求める気持ちが、同じよう状況にある人のために行動をおこす強い動機となるからである。(1.Ⅱ.5)
ふだんの生活でしているように、心の動力から、あるいは行動へとつながる動機から、このように心の状態を推し量る。そのときに重要視している動機の中には、高い品性からくるものもあれば、低い品性からくるものもあるが、そうした事実から、新たな困難が生じることはない。(1.Ⅱ.6)
自分への満足感について疑問に思っている人をみているとしよう。そのひとが、家への帰り道に見かけた、貧しい病人のことをしばらく考え、時間をかけて決意した。自分のために物資的な満足をとるべきなのか、それとも親切に行動して他の人の喜びを嬉しがるべきかと。以前は自分にむかっていた喜びが、今度は他のひとにむかうとき、心の状態に変化が生じるというべきだろう。そのとき、哲学者が心の変化を研究するはずである。(1.Ⅱ.7)