マーシャル 経済学原理 1.Ⅱ.8

 しかし経済学者の研究は、精神状態そのものについてではなく、感情表現をとおしてである。そして感情表現とは、バランスのとれた行動の動機を等しくもたらすことに気がついたなら、経済学者は第一印象で、自分の目的と等しいものとして扱う。経済学者は我慢強く、用心をしながら、非常に警戒したやり方で、ふだんの生活で人々が毎日していることについて扱う。だが、私たちの心の高貴な感情と低俗な感情について、その真の価値を比べることはない。徳を愛する心と美味しい食べ物への願望について、比べることもない。修道院の共同生活において人々がするように、経済学者も、結果によって行動の動機を評価する。経済学者は通常の会話の流れを追いかけているが、知識の限界をはっきりと示そうと策を発揮するときにのみ、ふだんの会話とは違ったものになる。経済学者が仮の結論に到達するのは、あたえられた条件で、一般の人々を観察することによってである。個人の情緒的、かつ精神的な特徴を見抜く試みをおこなっているわけではない。しかし経済学者が、人生における情緒的かつ精神的側面を無視しているわけではない。
 反対に、経済学研究という狭い用途のためだとしてでもある。広がりつつある欲望が、強く、正しい特徴の形成を手助けするものかどうか知るということは重要である。広い用途のためだろうと、実際的な問題に応用されるときには、経済学者も、他と同様に、人間の最終的な目標に関心をもたなくてはいけない。そして、満足のあいだにある本当に価値あるものを考慮しなくてはいけない。その満足とは行動をおこす動機となるものであり、等しく影響力があるものである。こうした測定の研究が、経済学の出発点であるにすぎばい。しかし、それでも測定が出発点なのである。(1.Ⅱ.8)

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