アダム・スミス 道徳感情論 1.Ⅱ.7 肉体の苦痛に同情しても共感するとまでは言い難い

肉体の欲望を嫌悪するのと同じ理由で、肉体の痛みがこの上なく耐えがたいものであろうとも、その痛みのせいで泣き叫ぶということが男らしくないことのようにも、見苦しいことにもいつも思えるものである。しかしながら肉体の痛みには、大いに共感するところがある。もし、これまでに観察されてきたことだが、殴りかかる場面を目撃して、他の人の足や腕に一撃がくわえられようとするなら、自然に後ずさりをして、足や腕を引っ込めるだろう。そして一撃がくわえられると、ある程度はその一撃を感じとり、受難者と同じように衝撃をうける。しかしながら私が怪我をしているかと言えば、明らかに、少しも傷ついてはない。そういうわけで、激しい悲鳴を聞いたとしても、受難者についていくわけにはいかないので、きっと相手のことを軽蔑することだろう。だが、これは、肉体に起源がある情熱の場合である。そうした情熱は、まったく共感をうまないものである。共感をうんだとしても、この程度のものである。だから、その共感とは、受難者が感じる暴力とは釣り合いのとれていないものなのである。(1..7)

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