アダム・スミス 道徳感情論1.Ⅱ.24の途中まで①

復讐をめぐって個人への情熱が機能することが知られているのは、相手を侮辱したり傷つけたりすることが危険なものだからである。復讐をめぐって社会への情熱が機能することが知られているのは、正義の保護者としての役割があるからであり、その情熱が誰にでも等しくむけられるからである。これから示すように、復讐をめぐる情熱というものは重要なのである。しかし、そうでありながら、情熱そのものは不快なものである。そこで他のひとのなかに情熱というものがあらわれると、嫌に思う対象になるのは自然である。何らかの体の現状にむかっての怒りの表現が、露骨なほのめかしをこえるものであり、その表現がまちがっていると思えるものだとしよう。その場合、特定のひとを侮辱しているとみなされるだけでなく、すべての仲間に無礼をはたらいているものとしてみなされる。

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