アダム・スミス 道徳感情論 1.Ⅱ.25 途中までその1

これまで考えてきた情熱についても同じように、目に見える結果もあれば、間接的な効果というものもある。目に見える結果というものはとても不快なものであるから、そうした結果が生じたばかりだとしても、嫌悪の情が生じる何かがあることは確かである。そのため、目に見える効果をひきおこす情熱とは、私が以前に観察したところでは、そうした情熱が生じる理由を教えてもらわなければ、その表現の仕方に共感したい気持ちになることもなければ、共感しようとして準備を整えることもないのである。悲惨な物悲しい声は、遠くから聞こえてくるものでも、その声を発している者に無関心でいることを許さないものである。その声が耳にはいるとすぐに、その者の運について関心をいだく。さらにその声が続くようであれば、私たちは思わずその声の主を助けようとして駆け寄る。同じように、微笑みをうかべた顔を見れば、悲哀を感じていたときも、陽気で軽やかな気分にまで気持ちを昂揚させてくれる。そうした陽気な気分には共感したくなるものであり、微笑みが表現する喜びを共有したくなるものである。そして考えが後ろ向きになったり、関心がうしなわれたりする前のように、自分の心がみるみる膨らんで有頂天になるのを感じる。

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