他のひとと分かち合うような共感であっても、先ほど取り上げた怒りという激しい情熱についての共感なら、ほとんどの場合、それは無様で嫌なものである。また、怒りとは反対の感情に対して抱く共感は倍にふくらみ、いつも心地よく、魅力的なものに思える。寛大な心も、慈悲あふれる心も、思いやりの心も、深く同情する心も、互いに親しくつき合って相手を敬う心も、社会における善意の感情すべてが、表情や行動で表現されるときには、特に関係のない者が相手だとしても、あらゆる場面で、先入観なしに観ている者は喜ぶものである。こうした思いやりや同情などの感情を感じているひとへの共感とは、正確に言えば、おもいやりや同情をむけられているひとへの関心と一致するのである。幸せのなかで見いだす関心のせいで、第三者の感情に対する共感が生き生きとしたものになり、また、第三者の感情も同じ対象へとむかっていく。そのため、優しい愛情には、いつも強く共感する傾向にある。優しい愛情とは、あらゆる点で好ましいものに思える。優しい愛情を感じて生じる満足とは理解することができるものだし、その愛情をむけられているひとが感じる満足も理解することができる。憎悪や憤りの対象になるということは、苦痛をもたらすものであり、勇敢な男であろうと恐れるものであり、敵からの災いよりも苦痛にみちたものである。だから、愛されているという意識には、満足感がある。繊細で感受性の豊かなひとであれば、愛されているという意識が幸せになるために重要であり、その意識からひきだされる他の何よりも重要なのである。友達のあいだに口論の種をまいたり、優しい愛情をひどい憎悪にかえたりするようなことに喜びを見いだすひとのような、嫌悪すべき特徴とは何なのであろうか。そして、このようにひどく嫌われる無礼の大半は、どこにあるのだろうか。無礼が人々から奪ってしまうものとは、友情が続いていたとしたら相手に期待できたかもしれない、愚かしいコネなのだろうか。いや、無礼が人々から奪い去るものとは、友情そのものであり、互いの愛情なのである。その友情にしても、愛情にしても、共に満足をひきだすものなのである。無礼とは、心の調和を妨げるものであり、以前はあったはずの幸せな交流に幕をおろすものである。こうした愛情も、調和も、心の交流も、優しくて繊細な心の持ち主だけが感じるものではなく、粗野な庶民すら感じるものである。そうした感情から期待される僅かな恩恵が重要なのではなく、幸せそのものが重要だからである。(1.Ⅱ.29)
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