収入にしても消費にしても正しく測定するには、多くの時間と苦心が必要とされるので、発展途上国のほとんどの政府が、貧困を定義するという問題に対して、乱暴に、そして急場しのぎで取り組んでいるとしても不思議ではない。発展途上国は消費や収入を直接測定する手段を探し求めることはしない。その代わりに用いる典型的なものとは、代用資産調査と呼ばれるものである。代用資産調査において家族は点数化されていくが、点数の基準となるものは、家族の生活基準の代わりになると考えられている数字の中でも、比較的小さな数をもとにしている。たとえばインドにおけるBPL(Below Poverty Line 貧困ライン以下)の人口が基準にしている点数化の法則とは以下のとおりである。家族の富の測定に比重をおく(土地を所有しているか、家はどんな種類のところに住んでいるか、家の中にはトイレがあるか等である)。生活状態を直接測定する(一日に二回、充実した食事をとっているか)。稼ぐ能力を測定する(成人の教育レベルやその仕事)。あるいは貧困への行動反応と呼ばれるものを点数化する(子供たちは学校に行っているのか、それとも働いているか)。メキシコの主要な福祉プログラムはオポチュニアードと呼ばれているが、このプログラムもインドと同じような指標を用いて、潜在的に存在する福祉プログラムの利益を受けるべきひとを特定していく。メキシコやインドのプログラムで用いられている指標は、家庭での部屋あたりの人数の加重平均、家長の年齢、養っている家族の割合、家長の教育レベルや職業、5歳から15歳の子供のうち学校に通っていない子供の数、12歳以下の子供の数、などのように単純な二つの変数が住居と家庭の資産価値を特徴づける。インドネシアの様々な公的援助プログラムも同様の指数を用いているが、もっと洗練された基準である。
このような基準がもつ強みとは、必要なデータが30分くらいで集められるということである。不利な点とは、私たちが望む結論へと到達しないかもしれないということである。インドネシア、ネパール、パキスタンからのデータには消費と資産価値の双方についての情報があり、そうした情報を使って、フィルマーとプリチェットが2001年に示したことが以下のことである。消費にもとづいて分類わけをした下位40%のグループのうち60%から65%にあたる者が、所有資産にもとづいて分類した下位40%のグループに入っていた。これは視点を変えて考えるなら、貧しい者のうち35から40%が不適切に分類され、おそらく資産を多く見積もられていたということになる。消費がいつも正しいと考える理由はないのである。
他にも興味深い点がある。指標として、具体的な富を用いると、測定するのが簡単だという利点もあるが、一方で不正に操ってしまうという欠点もある。もし私の家にもう一部屋たてることで、政府からの施しを受けるチャンスが減ることになると考えるなら、蓄えを金にしたまま使わないという選択肢を選ぶことだろう。子供を学校へ行かせるかどうかという判断をするとき、これは大きな問題になるだろう。子供を学校に通わせることに利益があると思っていない両親なら(後に不満はさらに大きくなる)、ためらうことなく子供に学校をやめさせ、公的な保護を受けている者の一覧にあるという自分たちの立場を守るかもしれない。