M.P.シール「音のする家」4回

一本の藁はしずかに、原始の嵐にのることができるものだろうか。混沌とした世界と私たちの靴のあいだで震えているのは、とても薄い層なのである。私が知っている男にも、感覚過敏の特性のある耳の持ち主がいた。あらゆる音が彼につたえるものとは、その音を引き起こす事情についての、微に入り細にわたる情報であった。いうなれば、彼の耳と普通の耳とのあいだの関係とは、分光器と望遠鏡とのあいだの関係に等しかった。たとえば、銅と鉄がまざった棒が、錫と鉛の棒にぶつかるとき、聞こえる範囲であるなら、彼に伝わる情報とは、それぞれの棒に含有されている金属の割合だけでなく、銅や鉄、スズや鉛そのものの、おもな価値や特質についてであった。当然のことながら、彼は狂気にかられたが、そうなる前に私に告げてきたのは、以下の奇妙なことであった。

 

Can a straw ride composedly on the primeval whirlwinds? Between chaos and our shoes wobbles, I tell you, the thinnest film! I knew a man who had this peculiarity of aural hyperæsthesia: that every sound brought him minute information of the matter causing the sound; that is to say, he had an ear bearing to the normal ear the relation which the spectroscope bears to the telescope. A rod, for instance, of mixed copper and iron impinging, in his hearing, upon a rod of mixed tin and lead, conveyed to him not merely the proportion of each metal in each rod, but some strange knowledge of the essential meaning and spirit, as it were, of copper, of iron, of tin, and of lead. Of course, he went mad; but, beforehand, told me this singular thing:

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