『蒼白い月』
著者:徳田秋聲
初出:1920(大正9)年7月
青空文庫
ふたたび徳田秋聲である。ただし少しは懲りたと言うべきか、学んだというべきか、今度は短編を読むことに。題名で決める軽率短慮な私、『青白い月』を読んでみた。
理想的な私小説読みの姿を教えていただき、登場人物に憑依したような気持ちになるぞ…と頁をめくる。
淡々とつづく神戸や大阪界隈の別荘地の描写に所々頷く。たまにはシミジミとした気持ちになる描写も散見、さすが鏡花のライバルである。
「私たちは河原ぞいの道路をあるいていた。河原も道路も青白い月影を浴びて、真白に輝いていた。対岸の黒い松原陰に、灯影がちらほら見えた。道路の傍には松の生い茂った崖が際限もなく続いていた。そしてその裾に深い叢があった。月見草がさいていた。」
だが所々頷き、たまにシミジミしているうちに、この短編はあっけなく終わってしまった。ちっとも憑依したような気持ちにならないまま、神戸界隈の別荘地を親戚とぶらぶらしながらの別荘地観察記かと毒づいているあいだに最後の頁に到達。
なに、これ?…と、もう一度読み返してしまった。二度繰り返して読んでも、あっけなく終わる事実に変わりはない。
このあっけなさ、印象の薄さを克服すべく、秋聲は汚描写に走ったのだろうか。分からない。
ただ秋聲の作品で印象に残る場面がある。それは果物がでてくる場面である。
「紅い血のしたたるような苺が、終わりに運ばれた。私はそんな苺を味わったことがなかった。」(青白い月 大正九年)
日本で苺の栽培が始められたのは明治五年…と言っても、それは皇室用のものだった。昭和三十年代にはビニール栽培が確立、ようやく庶民が食べられるようになった…らしい。
「仮装人物」にも果物がでてくる場面がある。老作家、庸三が、幾年前かに結婚生活を清算して、仏蘭西で洋裁の技術を仕込んで来たというマダムの洋館に招かれる場面だ。
「がっちりした、燻しのかかった家具の据えつけられた客室で、メロンや紅茶のご馳走になりながら、しばらく遊んでから、夕方になって三人で銀座に出てみたが、生活内容を探り合うこともできないほど、何か互いに折合いのつかない気分であった」(仮装人物 昭和十年)
日本でメロンの温室栽培が始まったのは大正時代、でも高価なもので一部の上流階級の人しか買うことはできず、今のように普及したのは戦後になってから…らしい。
大正九年当時、「紅い血のしたたるような苺」の文を読んだ人の気持ちは如何に?
昭和十年当時、「メロンや紅茶のご馳走」の文を読んだ読者の気持ちは如何に?
事実をありのままに書いた秋聲だから、書こうとする物(ブツ)そのもので、小説の世界を構築しようとしたのだろう。
だが時代は移ろい、物の価値も変わってしまった。
苺も、メロンも庶民の食べ物となってしまった今、秋聲の意図は読者には伝わらない。
同じように淡々としているように見える神戸郊外の別荘地の描写にも、秋聲の意図があれこれあるんだろうな、私が気づかないだけで。
今を生きる私たち、秋聲のブツにこめた言葉の意図を読み取るのは難しい。
これが事実をありのままに書こうとした秋聲の限界、幻の言葉で夢を語ろうとした鏡花の勝ちだね…と勝手に鏡花の勝利宣言をしてしまう。
読了日:2017年7月6日