天守物語
著者:泉鏡花
初出:1917年(大正6年)
青空文庫
(画像は山本タカト氏装丁の本)
大正6年につくられた戯曲「天守物語」が、今秋、金沢二十一世紀美術館で公演される。一世紀前、坪内逍遥全盛期の頃の戯曲である。そんな昔の戯曲の公演を今から楽しみにしている性急者は、おそらく私だけではあるまい。
一方で、こう疑問に思う方々もいることだろう。
坪内逍遥の時代の戯曲なのに?
大正の戯曲なのに?
そう思って首をかしげる方々も、冒頭の一節をお読みいただいたら納得していただけるのではないだろうか。
鏡花「天守物語」は確かに大正6年の戯曲である。だが、その世界は今の宮崎アニメの世界にも、童話の世界にも、現代文学の世界にも通じるものがあると。
御殿女中の薄が、天守から絹糸をたらして釣りをしている侍女をたしなめる場面である。
撫子 いえ、魚を釣るのではございません。
桔梗 旦那様の御前に、ちょうど活けるのがございませんから、皆で取って差上げようと存じまして、花を…あの、秋草を釣りますのでございますよ。
薄 花を、秋草をえ。はて、これは珍しいことを承ります。そして何かい、釣れますかえ。
桔梗 ええ、釣れますとも、もっとも、新発明でございます。
薄 高慢なことをお言いでない。-が、つきましては、念のために伺いますが、お用いになります。…餌の儀でござんすがね。
撫子 はい、それは白露でございますわ。
葛 千草八千草秋草が、それはそれは、今頃は、露を沢山(たんと)欲しがるのでございますよ。刻限も七つ時、まだ夕露も夜露もないのでございますもの。(隣を視る)ご覧なさいまし、女郎花さんは、もう、あんなにお釣りなさいました。
薄 ああ、ほんにねえ。まったく草花が釣れるとなれば、さて、これは静かにして拝見をいたしましょう。釣をするのに饒舌っては悪いと云うから。…一番だまっておとなしい女郎花さんがよく釣った、争われないものじゃないかね。
女郎花 いいえ、お魚とは違いますから、声を出しても、唄いましても構いません。-
ただ、風が騒ぐといけませんわ。…餌の露が、ぱらぱらこぼれてしまいますから。ああ、釣れました。
薄 お見事。
この場面に、鏡花のいつまでも古くならない魅力を想わないではいられない。
このあとに出てくる朱の盤坊、舌長老…名前からしてユーモラスな妖怪たちは、今読んでも面白い。
大名の理不尽さに憤る富姫の怒りも、私達がいつも感じる怒りである。
今秋、「天守物語」の世界を、この目で見ることができる、この耳で聞くことができる…ことが楽しみである。心は夏の秋聲トークをスキップして、もう秋の金沢にある。
読了日:2017年7月10日