丸山健二『千日の瑠璃 終結4』より十月十九日「私は鵺だ」を読む。
丸山文学の意外な魅力にこの世と別の次元に彷徨わせてくれる幻想文学的な部分がある。でも昔からの丸山ファンは、そういう風にはほとんど思わない。幻想文学ファンも、丸山健二と幻想文学を結びつけないのが残念である。
以下引用文。怪鳥鵺の飛びまわる様子が幻想的だなあと思う。引用はしていないが、この声を聞いた人々の心の変化も印象的である。
濛々と降り注ぐ陰雨がまほろ町の夜に持ちこまれ
発情した鹿が林野を駆け巡るのをやめ
沼沢地で水禽が灰色の眠りに就く頃、
私は密かに山を下り
屍蝋と化した獣のかたわらをすり抜け
古い町並野外れに存する
これまた古い神社へと潜りこみ、
そして
落雷やら人々の願いやらに捻じ曲げられた
杉の御神木の梢に止まり、
弱者の耳朶を打つ奇声を
おもむろに張りあげる。
丸山健二『千日の瑠璃 終結4』337ページ
エックスの投稿を読んでいたら、ある物書きさん&編集者&蔵書家の人が、「日本の小説家はもっと真面目に小説を書いてほしい。ぜんぜん面白くない」と書かれていた。
エックスの短い文だと意図されていたところはよく分からないが、小説とか短歌や詩文はこの現実世界への鵺の叫び声的部分もあるのでは……ギョッとしたり息を止めることがあっても、面白さだけを求めるのは違うんじゃないだろうか……そんなことを思ったりもした。