丸山健二『千日の瑠璃 終結4』より「私は相似だ」を読む
十月二十日は「私は相似だ」と意地の悪い双子の姉妹の相似が語る。相似が語るとは不思議……な気もする。
以下引用文。
最後の方で相似(今度は世一のドッペルゲンガー)が追いかけるあたりで、丸山文学によく出てくるドッペルゲンガー的世界になる。
「もう一人の世一」とか言わないで「相似」とだけ言い切ることで、もう一人の自分の存在がシンプルに、強く感じられる気がする。
丸山先生によれば、物理学的にもう一つの世界は存在する……とのこと。
彼と瓜ふたつの
もうひとりの少年を錯覚させてやり、
だから行く先々で
自分と同一人物に出会ってしまうのだ。
石段で頭を打って人事不省に陥ったおのれを
湖岸に佇んで怒気を含んだ声を発しているおのれを
万物を弁えるために生まれてきたおのれを、
はたまた
宇宙の茫漠たる広がりの一隅にうずくまっている
救いがたいおのれを
至るところで目撃する。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』341ページ)
この場面を想像しながら読むと、そんな自分に出会ったら嫌だなあ、怖いなあと思う。自分のドッペルゲンガーと遭遇したら近いうちに死んでしまう……という言い伝えがあるのも無理もない気がしてくる。