「観画談」
作者:幸田露伴
初出:大正⒕年7月
青空文庫
(カバー写真は岩波文庫)
幸田露伴は文学史のなかの作家、私には遠い存在だった。
ふと読んでみようと思いたったのは、先月の英国怪奇幻想小説翻訳会で宮脇先生に勧められたから。鏡花の話をしてくださったついでに「幸田露伴も漢文で書いていますが、お化けの話をたくさん書いていて面白いですよ」と教えてくださった…いったい何の会なのだろうか、宮脇先生の雑学を楽しむ会なのかもしれない。
そういうわけで、何となく、初めての幸田露伴である。どれを読もうか…と青空文庫をぺらぺら。文体が多種多様なのにびっくり。紫式部みたいな文もあれば、漢文の教科書みたいなものもあるし、村上春樹みたいにくだいて書いた作品もある。どの文体にしようか悩んだんだろうな、きっと。これだけ文体をかえて書けるなんて凄い!
たぶん初めての幸田露伴、私の意志がくじけないように漢文調はうすめ、紫式部調でもなく、村上春樹みたいでもない…という文の感じで「観画談」を読むことにした。
淡々とした筋である。でも最後に「で、何なの?」とは言いたくならない。筋は
「苦学生の通称『大器晩成先生』は神経衰弱のため、都会を離れることに。古寺に泊まった晩、大雨で川が決壊しそうになり高台へ避難。高台の草庵には不動の僧がいて不思議度が高まる。さらに草庵の絵を眺めていると絵の中の船頭が大きな口をあけたので、大器晩成先生もニコッとした。そして神経衰弱は治る」
どこが面白い?という筋だが、それでも読んでしまうのは幸田露伴の筆力だろう。
大器晩成先生が雨に降られる場面の描写である。何ということのない風景描写のようだが、江戸時代、戯作には風景描写はほとんどなかった。明治になってから風景描写をするようになった…これも英国怪奇幻想小説翻訳会での宮脇先生の話だが、半世紀のあいだに風景描写も完成されたのだなあと思いながら読んだ。
「路が漸く緩くなると、対岸は馬鹿馬鹿しく高い巌壁になっているその下を川が流れて、こちらは山が自然に開けて、少しばかり山畠が段々を成して見え、粟や黍が穂を垂れているかとおもえば、兎に荒されたらしいいたって不景気な豆畠に、もう葉を失って枯れ黒んだ豆がショボショボと泣きそうな姿をして立っていたりして、その彼方に古ぼけた勾配の急な茅屋が二軒三軒と飛び飛びに物悲しく見えた。天は先刻(さっき)から薄暗くなっていたが、サーッというやや寒い風が下して来たかと見る間に、楢や槲(かしわ)の黄色な葉が空からばらついて降って来ると同時に、木の葉の雨ばかりではなく、ほん物の雨もはらはらと遣って来た。渓(たに)の上手の方を見あげると、薄白い雲がずんずんと押して来て、瞬く間に峯鑾(ほうらん)を蝕み、巌を蝕み、松を蝕み、忽ちもう対岸の高い巌壁をも絵心に蝕んで、好い景色を見せてくれるのは好かったが、その雲が今開いてさしかざした蝙蝠傘の上にまで蔽いかぶさったかと思うほど低く這下がって来ると、堪らない、ザアッという本降りになって、林木(りんぼく)も声を合せて、何の事はないこの山中に入ってきた他国者をいじめでもするように襲った」
不気味な要素がそっと散りばめられた「観画談」、もう一度再読してみたい。
読了日2017年7月13日