「死が二人を別つまで」
A New Lease of Death
ルース・レンデル
初出:1967年
訳者:高田恵子
出版社:東京創元社
向ケ丘遊園読書会の次回課題本ということで久々に翻訳ミステリを読んだ。読み終わるころには本が付箋だらけの状態に。読んではすぐ忘れる私、翻訳書の場合、付箋は些細だけれど首をかしげた箇所にはることにしている。と言うわけで読解力不足がたたって疑問に思うことが多々あった。
まずはタイトルに付箋。A new Lease of Death は a new lease of life のもじりだと思うが、このa new lease of life は「命拾い」「寿命をのばす」「意欲を取り戻す」という意味がある。このタイトルは曖昧な表現ながら、「死者復活」という感じの、黒い笑いをこめた表現ではないだろうか? 「死が二人を別つまで」という題は恰好いいけど、黒い笑い感がでてない感じがする。
以下はネタバレ駄文。訳は東京創元第七版 高田恵子訳より。
作品のポイントのひとつに、ヘンリー・アーチェリー牧師の牧師らしからぬ人物像がある。瀕死の重傷者の最後に立ち合えば、血がほとばしる場面にアーチェリーはあとずさりをする。息子が犯罪者の娘と結婚しようとするとオロオロして、その犯罪者は無罪だったと証明しようとする。美貌の実業家婦人にくらくらしたり、夜、寂しくなると妻に電話したくなったりする。「それで牧師なの?」という笑いも、この作品の大きな魅力。やはりタイトルは、黒い笑いにみちていると思う。
レンデルの作品構成にも付箋をぺたっ。アーチェリー牧師の息子と結婚しようとしている娘、テリーサの父は人殺しの犯罪人ではなく、夭折した詩人との私生児だった…わけだが、母親が娘を殺人者の娘にしてまで私生児であることを、自分の不義を隠そうとするか? 半世紀前の作品だが、現代では通じない価値観かなあという気が。
以下、読んでいて分からないと思ったところをメモ。私の読解力のなさも多々あると思うので駄メモにお許しを。
16頁「修道僧のような顔の男とむかいあって座り、ウェクスフォードが『柔和』と呼ぶ同情のほだされると、女たちは、五十五歳の堂々とした体格の男に対してより、はるかに心をひらくものなのだ」
―柔和と呼ぶ同情―とは何なのか、私には謎である。
35頁「灰色のスレートぶきの屋根には、いくつもの傾斜の急な切妻が作られており、そのうちのふたつは家の正面にそびえるようにつき出ていたが、そのほかに右手にも三つめの切妻があり、その奥にもうひとつ、裏に面している少し小さめのものがあった。どの切妻にも、くすんだ緑色のペンキを塗った格子模様がはめこまれていて、その木材のなかに稚拙な山形模様が刻まれているものもあった。木造部のあいだのしっくいがあちこちはげおちていて、ピンクがかった粗いレンガの面がむき出しになっている。一階の窓のしたからいちばん高い切妻のところまで、ペンキの色と同じくすんだ緑色のツタが、その扁平な葉とロープのような灰色のつるを好き勝手にひろげている。いちばん高い切妻の格子戸がだらしなくひらいていたが、それは粉をふいた壁のあいだにツタがはいりこんで、レンガの壁から窓枠をうきあがらせているためらしかった。」
―頭に情景を描くのが難しい、どなたかデッサンしてくださいませー
47頁「ほぼきっかり一割」
―「ほぼ」と「きっかり」は両立する表現なのかと?
60頁「そのレインコートは、馬車小屋にかけてあることもあれば、ヴィクターズ・ピースの裏口のドアの内側にかけてあることもありました。
―「裏口のドアの内側」、ここまで正確に訳さなくてもと思いますが。
ブルーというカタカナを何回も使っているのが、私は嫌です。
19頁「畑には木々が濃いブルーの影をのばしており」
108頁「紺色の制服を着た警官を『ブルーボトル』
この作品のどこかにも「ブルーの瞳」という訳があった。
―日本語にもなっているブルーだけど、堂々と使われるのは嫌だなあ。
118頁「その若者はいっときもだまってなんかいなくて、わめきどおしでした。若い女のことと、子供がどうとか言ってましたな」
―テリーサの本当の父であるジョン・グレースが不慮の事故で亡くなる場面ですが、『わめきどおし』でいいのでしょうか。口の悪いウェクスフォードの視点で語られているから構わないのかもしれませんが。
122頁アーチェリー牧師が妻に電話で話す言葉
「二匹によろしく伝えておくれ」
―こんなふうに52歳の男が「二匹に」と話すものでしょうか?
127頁「その部屋はベッドルームで硬質繊維板でふたつにしきられていた」
―硬質繊維板とは?
178頁「車の助手席にはプードルのドッグがすわっていて」
―ドッグ?
228頁「きょうはドッグはいっしょではないのですね」
―52歳の牧師の言葉?ドッグも日本人の誰もが知っている日本語ですが、私は嫌だな。
185頁「チャールズがなぜこれほど熱烈にこの娘を自分のものにしたがっているのか、その理由がわかってきたような気がした。それは、自分がいままで経験したことのないような奇妙な感覚で、テスにもテスの外見にも、チャールズにも関係のないところから生じたものだった。ある意味でそれは、普遍的な共感といえるものだったが、その一方で自分本位なものであり、理性からというよりも感情から出てきたものだった」
―と語るアーチェリー牧師の「普遍的な共感」が何なのか不明です。
この作品は、値段がいろいろ記されている。裁判所の記録二百ポンドは高いかなあ。
26頁 ペインターの報酬が週3ポンド
40頁 ヴィクターズ・ピースの屋敷の売値は6000ポンド、1951年にロジャーが手放したときには二千ポンド。
40頁 ミセス・プリメーロウの遺産は一万ポンド
121頁 裁判記録の写し 二百ポンド
207頁 ロジャーのことを「執事がいて、年収が五万ポンドもある人間なら」
疑問も多々あれど、実の父は…という設定は楽しかった。
牧師アーチェリーのダメっぷりも、文楽にでてくるハンサムなんだけどダメ…という主人公たちをどつきながら見るときの楽しさに相通じるようなものがあって楽しかった。
読了日:2017年7月15日