『幻談』
作者:幸田露伴
初出:昭和13年9月
青空文庫
頭が朦朧としてくるような今日の暑さも、『幻談』の書き出しに心がすーっと怪談モードになって涼やかになっていく。漢語文、文語体と試行錯誤して日本語で書こうとしてきた幸田露伴も、この作品を書き上げた昭和十二年はおよそ70歳。日本語でどう書こうか…と考えてきた露伴の終着点も近い…つぎのように始まる冒頭の文を読みながら、露伴の日本語の冒険旅行をしばし思う。
「こう暑くなっては皆さん方があるいは高い山に行かれたり、あるいは涼しい海辺に行かれたりしまして、そうしてこの悩ましい日を充実した生活の一部分として送ろうとなさるのも御尤(ごもっとも)です。が、もう老い朽ちえてしまえば山へも行かれず、海へも出られないでいますが、その代り小庭の朝露、縁側の夕風ぐらいに満足して、無難に平和な日を過して行けるというもので、まあ年寄はそこいらで落着いて行かなければならないのが自然なのです。山へ登るのも極くいいことであります。深山に入り、高山、嶮山なんぞへ登るということになると、一種の神秘的な興味も多いことです。その代わりまた危険も生じます訳で、怖しい話が伝えられております。海もまた同じことです。今お話し致そうというのは海の話ですが、先に山の話を一度申しておきます。」(『幻談』より)
「危険も生じますので、怖しい話が伝えられている」というわけで、『幻談』には海の怪談、山の怪談がそれぞれ一つずつ収められている。
山の怪談は、1865年、ウィンパーがマッターホルン初登頂したときの遭難事故。海の怪談は、江戸時代末期、深川の釣り船がひろいあげた釣り竿をめぐるもの。
この『幻談』についてのコメントを読むと、「なぜ山の怪談があるのか」と疑問を書かれている方が多い。ウィンパーの悲劇がよく知られた遭難事故についてノンフィクション風に書かれているのに対して、釣りの怪談は落語の語りを聴いているかのように、露伴の語りが工夫されているので違和感があるのだろう。でもウィンパーの悲劇も、深川の釣り船も、時代的にはほぼ同じ時代、山と海の怪談を楽しんでもらおうという露伴の意図があってのことだろう…だが、やはり露伴の語りは西洋の世界を語るときは真価を発揮しないかな。
…と言うわけで、山の怪談はとばして深川の釣りの怪談。
釣りの怪談の主人公は、こんなふうに紹介されている。露伴が語ると、窓際族もよいものだなあと我が身と重ねて考えたりもして、正しい窓際族の在り方を思ったりしないではいられない人物である。
「これもやはりそういう身分の人で、物事がよく出来るので以て、一時は役づいておりました。役づいておりますれば、つまり出世の道も開けて、宜しい訳でしたが、どうも世の中というものはむずかしいもので、その人が良いから出征するという風には決っていないもので、かえって外の者の嫉みや憎みをも受けまして、そういう役を取り上げられまする、そうすると大概小普請(こぶしん)というのに入る。出る杭が打たれて済んで御小普請、などと申しまして、小普請入りというのは、つまり非役になったというほどの意味になります。この人も良い人であったけれども小普請入になって、小普請になってみれば閑なものですから、御用は殆どないので、釣りを楽みにしておりました。別に活計(くらし)に困る訳じゃなし、奢りも致さず、偏屈でもなく、ものはよく分る、男も好し、誰が目にも良い人。そういう人でしたから、他の人に面倒な関係なんかを及ぼさない釣を楽しんでいたのは極く結構な御話でした。」
のんびりと暮らしている小普請族の語りは、釣りの蘊蓄話から始まって、だんだんこの俗世を離れたものになっていく。
釣りはしないけれど、こんな釣り船での過ごし方の描写を読むと、釣り船にのって海風に吹かれたくなってくる。
「船頭は客よりも後ろの次の間にいまして、丁度お供のような形に、先ずは少し右舷によってひかえております。日がさす、雨がふる、いずれにも無論のこと苫というものを葺きます。それはおもての舟梁とその次の舟梁とにあいている孔に、『たてじ』を立て、二のたてじに棟を渡し、肘木を左右にはね出させて、肘木と肘木とを木竿で連ねて苫を受けさせます。苫一枚というのは凡そ畳一枚より少し大きいもの、贅沢にしますと尺長の苫は畳一枚よりよほど長いのです。それを四枚、舟の表の屋根のように葺くのでありますから、まことに具合好く、長四畳の部屋の天井のように引いてしまえば、苫は十分に日も雨も防ぎますから、ちゃんと座敷のようになるので、それでその苫の下即ち表の間―釣舟は多く網舟と違って表の間が深いのでありますから、まことに調子が宜しい。そこへ茣蓙なんぞ敷きまして、その上に敷物を置き、胡坐なんぞ掻かないで正しく座っているのが式です」
小普請の旦那が船頭「吉」が漕ぐ釣舟ででかけた帰り、素晴らしい釣竿を握りしめたまま溺れ死んでいる男の水死体を海面に発見する。江戸時代は水死体もさほど珍しいものではなかったのだろうか? さほど驚きもせず、ただその水死体が手にしている素晴らしい釣竿に目を奪われる。釣竿を持って帰ろうとする吉をおしとどめるも、釣竿をみるうちに小普請の旦那もつい水死体から釣竿をもぎとってしまう。このあたりの旦那の心のゆらぎがユーモラスだけど、釣竿をもぎとる瞬間、その後の描写は何とも不気味、簡潔なんだけど小普請の旦那の胸中をよく語っている。
「指が離れる、途端に先主人は潮下に流れて行ってしまい、竿はこちらに残りました。かりそめながら戦ったわが掌(て)を十分に洗って、ふところ紙三、四枚でそれを拭い、そのまま海へ捨てますと、白い紙玉は魂でもあるようにふわふわと夕闇を流れ去りまして、やがて見えなくなりました」
さて翌日、釣りにでた帰り、海のうえで見かけたのは、何度も海面に突き出ては沈む竹竿であった。その光景に小普請は、水死体から取った竹竿を海に返してしまうのであった。
釣りの蘊蓄話に耳を傾けて浮世を忘れているあいだに、いつのまにか怖い話にかわって背筋が寒くなる一篇。露伴もこのあたりになると読みやすい。すべて「ブルー」と連発して訳す翻訳書よりも頭に入る。もっと露伴を読んでみよう。
読了日:2017年7月16日